落語協会会長、柳家さん喬師匠が大事にしているもの(後編)
- 落語

子供のころの夢は『モーニング娘。』だった。
神奈川県相模原市で生まれた時、体重は2千グラム台の未熟児だった。物心ついた時から歌って踊ることが大好きで、よく家の中で洋楽CDを流しては一人踊り狂っていたのを覚えている
小学校に入学しても、背の順はいつも一番前で、相変わらず体が小さく、しかしそんな小さな体でも堂々とカメラの前に立つ『モーニング娘。』のメンバーに憧れ、私の将来の夢は『モーニング娘。』になることだった。友人とユニットを組んで、『モーニング娘。』の楽曲に合わせて歌って踊ったりするような毎日だった。
中学に入学してからは、吹奏楽部に入部してホルンパートを担当することになった。理由は、勧誘してくれた先輩が可愛かったから。その頃にはパソコンでアニメを見るのにすっかりはまっていた私は、昔のアニメのまとめサイトで『るろうに剣心』を見てから完全に沼った。そのまま江戸から明治にかけての歴史にも興味を持つようになり、将来の夢は声優になったのである。吹奏楽部のホルンパートの可愛い先輩を登場させた自作の『るろうに剣心』の同人漫画を描くのが毎日の密な楽しみだったことをここで初めて告白する。
高校は、県内で一番制服が可愛くて、吹奏楽部も強い高校に進学した。吹奏楽部ではトランペットを担当することになったのだが、内気で引っ込み思案な性格の自分が花形のトランペットを選んだのは、“主役になりたい”という思いがあったからなんだと思う。部活に全力を注いだ3年間だった。
子供のころの夢は『モーニング娘。』だった
神奈川県相模原市で生まれた時、体重は2千グラム台の未熟児だった。物心ついた時から歌って踊ることが大好きで、よく家の中で洋楽CDを流しては一人踊り狂っていたのを覚えている。
小学校に入学しても、背の順はいつも一番前で、相変わらず体が小さく、しかしそんな小さな体でも堂々とカメラの前に立つ『モーニング娘。』のメンバーに憧れ、私の将来の夢は『モーニング娘。』になることだった。友人とユニットを組んで、『モーニング娘。』の楽曲に合わせて歌って踊ったりするような毎日だった。