そしてわたしは宇宙一の美人浪曲師になった

東家千春の「宇宙まで届け! 圧倒的お転婆日記」第1回

そしてわたしは宇宙一の美人浪曲師になった

「桃と虎」時代の宣伝写真

東家 千春

執筆者

東家 千春

執筆者プロフィール

劇団の空中分解とコンビ解散

皆様、はじめまして。浪曲師の東家千春でございます。僭越ながら「宇宙一の美人浪曲師」として活動させていただいております。

わたしは東京都墨田区、下町生まれ下町育ち。おもしろそうなこと、楽しそうなことに、ふらふらと誘われるまま挑んでいるうちに、流れ流れて、気づいたら浪曲師となっておりました。この連載では、若手浪曲師の楽しい日常を書かせていただこうと思います。

早稲田大学出身、国語の偏差値が高すぎて測定不可能、お笑い大好き、誰よりも爆笑を取りたい――と、自分が枕で話してきたことが、いま自分の首を絞めておりますが。

今回は初回なので、自己紹介を兼ねて、入門までのことを書きたいと思います。

わたしは子供の頃から、高いところに立って大きな声を出すのが大好きで、小学校、中学校、高校の学芸会では必ず主役に立候補。お芝居がしたくて、演劇が盛んで劇団がたくさんある早稲田大学に入学しました。

大学では、学業そっちのけで演劇に夢中。勧誘されて入団した劇団に心血を注ぎ、「この劇団で売れるんだ!」と青春のすべてを捧げました。しかし、気づいたらあっという間に三十歳。仲間たちは「演劇じゃ食えない」と突然、我に返り、次々と就職。劇団は空中分解。途方に暮れたわたしは、同じく現実を受け入れられずに残っていた元劇団員の八尾ポップさんを誘い、二人組のコントユニット「桃と虎」を結成しました。

ここからがわたしの二番目の青春。二人組なら劇団として活動するより、お笑い芸人としてお笑いライブに出演してみようという話になり、いつの間にかお笑いの道に進んでいました。

初めての台本執筆、お笑いライブ出演、単独ライブ開催。相方の八尾ポップさんは、わたしより四歳年上のおじさんで、とても面白くてかわいらしく、人たらしな人ではありましたが、ギャンブル狂い。当然、お金はなく、遅刻魔、ネタは書けない、小道具も準備できないなど、ネタ以外のことは何もできない大変に面倒な人でした。

はじめての打ち合わせの時は、「誘ってくれて、ありがとう。お礼として御馳走したいから、五千円貸して」と平然と言われました。「変な人だなあ」と思いました。言われるままにお金を貸したわたしもどうかしているのかもしれませんけど。

それでも八尾ポップさんは舞台にただ立っているだけで何となくおかしみの滲む人で、単独ライブはいつも満員。五回目の単独ライブを終えて、「次はどうしようか?」と相談した時、八尾ポップさんから「実は俺、ピン芸人になりたい」と告げられました。

「何も一人でできないお前が? ネタを考えるのは地獄の苦しみだから、絶対に書きたくないって言ったお前が???」と思いましたが、八尾ポップさんの意思は固く、傷心のまま「桃と虎」は解散。新宿駅南口の改札でお互いに貸し借りしていたものを紙袋に入れて交換し、じゃ元気で、と別れました。コンビの解散って、恋人とのお別れみたいだな、と思いました。