バンビ物語 (前編)

鈴々舎馬風一門 入門物語

心臓が口から飛び出るくらいの緊張

 翌日は、悩んだ末に鈴本演芸場前での入門志願に作戦変更です。師匠が楽屋を出てくる時間を計算して、寄席の前でジッと待っていると、ロビーの奥から師匠が出てきました。
 「よし、行け!」「いや、やめとけ!」

 二つの声が同時に自分の中から聞こえてきます。迷いに迷い、心臓が口から飛び出るくらいの緊張です。「でも、もう、ここで行かなきゃ後悔する!」と決心すると、師匠の前に駆け出します。
 「弟子にしてください!」

 師匠は少し困ったような表情です。しばらくして、私に名刺をくださいました。
 「う~ん、弟子か……、俺だけじゃ決められねぇんだよ。カミさんに相談してみるから、電話をくれ」

 その日の夜、師匠のご自宅に電話をすると、お内儀さんが出られました。
 「弟子入り志願のことは聞きました。とりあえず話は聞きますから、家に来てください。ただ、弟子になれるかは分かりません。家は分かりますか?」
 「ええ、分かります」
 「え? 知ってるの?」
 お内儀さんの少し怪訝そうな声を聞き、まさかご自宅の前まで行っていたとは言えません。
 「あ、いや……、あの、なんとなく……」

ついに夢が叶う

 そうこうするうちに、師匠のお宅に伺う日が来ました。
 「修行も大変だし、いつどうなるか分からない商売だから、止めたほうがいいわよ」
 お内儀さんの言葉に、師匠はほとんど無言のまま、横で頷いています。
 「いえ、どうしてもなりたいんです!」「 お願いします!」「噺家になりたいんです!」

 私は、後にも先にもあんなに粘ったことはないくらい、食い下がりました。そして、その熱意を認めていただいたのでしょう。お内儀さんは、私に優しくおっしゃいました。
 「ウチは親御さんの許可がないと、入門できません。お母さんを連れていらっしゃいね」

 後日、母親と一緒に改めて師匠宅に伺います。お内儀さんは、母親にも同じように「噺家は修行が大変です」とおっしゃいましたが、母親も同意していることを確認すると、
 「では、六月二十一日からウチに通いなさい」

 と、ついに入門が叶います。その折、お内儀さんが「お昼でも」と蕎麦屋さんから出前を取ってくださり、母親が「師匠もお内儀さんも気を遣ってくださって、あんなに素晴らしい方々はいない」と、感心していたことを思い出します。