カレーライスと師匠の言葉 (後編)
鈴々舎馬風一門 入門物語
- 落語

2022年3月、真打昇進。鈴々舎八ゑ馬改メ、柳家風柳に
思い出のカレーライス
弟子入りしようと決意してからは、師匠の出演情報を調べて、寄席や落語会で出待ちをしました。しかし師匠には一度も会えません。そこで当時、師匠のホームページには、事務所の住所が記載されていたので、思い切って行ってみると、そこには「鈴々舎馬風」という表札の一軒家がありました。
「えぇー、まさかご自宅? ネットに自宅の住所を載せてるの?」(もちろん現在のホームページには住所は載せておりません)
緊張しながら、震える手で思い切ってインターホンを押してみます。
「弟子入りしたいのですが、馬風師匠はご在宅でしょうか?」
すると、すぐにインターホン越しに、
「あ? いきなり家に押しかけて、おめぇに常識はねぇのか! 弟子は取らねぇんだ、帰ぇんな!」
……と、激しい怒声が返ってくると想像していましたが、実際には、おかみさんがわざわざ外まで出て来てくださって、
「弟子になりたいの? とりあえずカレーがあるから、上がって食べていったら」
と、怒られるどころか、カレーライスをご馳走してくださりました。
緊張と驚きと感動で、感情がぐちゃぐちゃになりながら食べさせていただいたカレーライスはとんでもなく、おいしかったです(そもそも、おかみさんの手料理はどれもおいしく絶品、これは落語界では有名で、ほとんどの芸人が師匠の家でご馳走になっております)。
優しいおかみさんは、私がカレーライスを食べる姿をずっとニコニコしながら見ておられましたが、食べ終わると、急に私の顔を真顔で見つめ、厳しい口調になりました。
「本当に弟子になりたいの? ウチは厳しいわよ。前座の間は本当に休みなしよ。あなた、やっていく自信ある?」
「……はい」
「師匠、この子、弟子になりたいんだって!」
そう言うと、奥から師匠が颯爽と笑顔で現れます。
「ああそうかい。いいんじゃねぇか、ウチはきついけど、まぁ頑張んな!」
師匠はそれだけ言って、また奥の部屋に戻っていかれました。
「(かっこいい!)」
粋な江戸っ子のようで、私はすごく感動しました。
その後、大阪から親を呼んで改めてご挨拶に伺い、正式に弟子として認めていただくことができました。後年、おかみさんに聞いたことがあります。
「なんであの時、まだ弟子でもない、なんだか分かんない人間にカレーまで食べさせてくれたんですか?」
「せっかく来てくれたんだから、弟子にならなくても、その子のいい思い出になればいいでしょ」
おかみさん、あの時のカレーライスの味と私への優しさは、一生の思い出になりました。そして見習い、前座の間もずっと毎朝、おいしい料理を食べさせていただき、本当に感謝しています。
また、稽古について師匠は、「芸なんて、教わるようなものじゃねぇ。盗むんだ! 俺じゃなくていいから、誰か好きな先輩を見つけて『間』を盗んで来い!」というお考えがあり、師匠から落語を直接教わったことはあまりないかもしれません。その代わり、修業中のことはほとんどすべて、おかみさんに教えていただきました。
「いい? これは小さんの教えよ。『芸は人なり』。正直ないい人間になりなさい」
私にとって、この教えは当時も今も難しい課題です。なんせ元々の人間がひどくて、特に下ネタを発することが多かったようです。ただ、おかみさんのおかげで、下ネタ癖だけは治りました。これが私が唯一、誇れる修業の成果です。