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流れもの日記 (前編)
鈴々舎馬風一門 入門物語
- 落語
修行のための修行期間
翌年の2012年の春に大学を卒業した僕は、就職などせずに「体裁の良いキリギリスになりたい」、ただそれだけを夢見て、結果として真逆の粉骨砕身のアリのような日々を送った。なんとも皮肉な話だ。
「入門後、すぐには食えない」と聞いていたので、予備資金を死に物狂いで貯めた。ちなみに僕は、この「死に物狂い」という言葉が好きだ。死に物狂いとは、「一生懸命」にやることとは違う。生きるか死ぬかの狭間で狂っていることをいう。狂っていなければならない。世間の常識は顧みず、ただ自分との約束を守るためだけに自我と格闘する。それが死に物狂いだ。
どうせ前座修行をするのなら、今のうちに前座修行よりも厳しい環境で働くのがいいだろうと思い、倉庫で夜通し荷物の仕分けをするアルバイトを選んだ。夜の10時から夜勤。これはなかなかのアルバイトだった。現場仕事がきつすぎて、ほぼ毎日新人が入れ替わる。古参のメンバーも新人はすぐやめると思っているから、人扱いなどしない。労働環境は最悪だ。それでも僕にとっては好条件だ。
「これだ、これだよ。ここで続けられれば、楽屋修行も務まるだろう」
お金がなくて入門ができない気持ちを紛らわすには、バイトに時間を費やすのが一番都合が良かった。一時だが、多い時は朝9時からはパチンコ屋のホールでバイトをして、いったん帰宅しまた夜22時から夜勤にいそしむ。
さらに噺家修行の免疫をつけるために、ほかにもいろいろなことを自らに課した。まず、修行中は、お休みがないので、アルバイトの勤務も多い時で週7回。
そして、入門先によっては、たくさん食事を摂るところがあるらしいので、胃袋をフードファイターのごとく大きくしておきたい。そう思って毎日二合のお米を弁当に詰め込む。もし仮に今から入門志願をしようと思って胃袋の拡張を試みている未来の同志がいるならば、今ここで忠告しておきたい。「もう本当にお腹いっぱいです」と言えばいい。ことは済む。
僕にとって、この入門前の「修行のための修行期間」の2年間が今の自分の内面をかたどっていることは間違いない。だいぶねじれ曲がってしまったと思うが、今も思い出す。
22時、勤務開始。2時間ほど作業をして、0時からお昼休憩(夜勤でも一番長い休憩はお昼休憩と呼んでいた)。ベニヤ板に覆われた壁の休憩所。裸電球ひとつの部屋でベルトコンベアーの「ギシギシ」という音を聞きながら、ボロボロの擦り切れたソファーの上で、無言で黙々と弁当のご飯を口に運ぶ。
二合のご飯にセブンイレブンで買った角煮をぶっかけて、古ぼけた電子レンジでチン。これが僕のいつもの弁当だった。今も炊いたご飯に角煮を乗せて口に運べば、いつでもあの時代にTRIPすることができる。しかしながら、食べたいという気が甚だ起きない。
この部屋ではギャンブル依存症のパチンカーの栗田さん(仮名)、朝礼の時点から酒臭をプンプンさせているアル中の田尾さん(仮名)、家をなくし、漫画喫茶で暮らす波田さん(仮名)、そして僕。なんというバランスだろうか。人生いろいろ。みな個性豊か。仲はそれと言って良くも悪くもない。
中でも波田さんは家がないから、漫画喫茶で暮らしていた。先日、同級生の結婚式があったのだとか。ご祝儀の手痛い出費がアパートを借りる日を遠ざけると愚痴をこぼす。でもその日、出席していた中に、親が幼稚園を経営している同級生がいたと言う。波田さんは「この同級生と結婚すれば、幼稚園のバスの運転手として生きる術が見つかるかもしれない。バスにも逆玉にも乗れるんだ」。目を輝かせて――否、血走らせて言った。
「波田さんは、その方のことが好きなんですか?」
と、僕が聞いたら、波田さんはこう言った。
「高瀬君(僕の本名)、好きとか嫌いじゃないんだよ、どう暮らしていくかでしょ」
僕は「人生は何なのだろうか。人生ってこわいなあ……」と思った。今の僕は、その当時の波田さんの年齢を超えた。
波田さん(仮名)、元気だろうか。今は何をしているんだろう。