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紀尾井町の占い師 (前編)
神田伊織の「二ツ目こなたかなた」 第1回
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清水谷公園にある大久保利通哀悼碑。揮毫は太政大臣、三条実美
新緑の紀尾井坂
四ツ谷の駅から上智大学方面へ出て、土手に上がると青葉があふれた。
目には青葉 山ほととぎす 初鰹
江戸という都会の最も美しい季節における情趣は、この一句に尽くされる。そう言ったのは永井荷風だ。大正の初め、荷風は日和下駄を履き、蝙蝠傘を手にして、失われた江戸を慕って東京市中を散策し、随筆の名編を物した。
令和の今日においても、新緑の都心は実に美しい。ものごころついてから毎年、桜の花に一喜一憂して、それがあまりに繰り返されたのでだんだんうんざりとしてきて、それに伴い若さを失い、人間がますますひねくれてくると、葉桜の頃になってからようやく心が浮き立つようになった。
ほどなくして、花の姿も余韻も一掃される。青空を背にして若葉が風にきらめく。こうなるともう、じっとしていられなくなって、下駄も傘も、なに慕うものもないけれど、あてもなく無駄に歩く日々が増える。四ツ谷の駅で降りたら、おのずと足は、上がらなくてもいい土手へと向かった。
外堀沿いに土手道をまっすぐ歩く。左手には木々の向こうに大学の建物が並び、右手には眼下に運動場が広がる。やがて突き当たりが近づくと、大樹の陰にホテルニューオータニが現れる。
土手から下りる。紀尾井ホールの前にはすでに人だかりができている。それを横目に足を速め、紀尾井坂をゆるやかに下ってゆく。
坂の下を清水谷という。右に曲がると清水谷坂。少し進むと清水谷公園がある。明治十一年五月十四日、内務卿大久保利通はこのあたりで暗殺された。犯人の島田一郎をはじめとする石川県士族ら六名は、事を済ますと斬奸状を手にしてそのまま自首した。
事件の十年後に明治政府によって建てられた哀悼の碑が、公園の中央で緑に囲まれて堂々とそびえている。
