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紀尾井町の占い師 (後編)
神田伊織の「二ツ目こなたかなた」 第2回
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江藤新平(国立国会図書館蔵『近代日本人の肖像』より)
鎮魂と救い
果たして大正十五年十二月の『週刊朝日』に、「江藤新平の首」という大島伯鶴の講談が載っていた。
芸者の名前が「小友」で江藤新平との面識はなく、宴会で訴えを聞いた大久保が反省をして写真の販売を禁止するという点や、暗殺とのつながりはないところが大きく異なるが、大筋は同じ展開だ。
この講談を踏まえてだろう。政治講談の巨人・伊藤痴遊は『痴遊雑誌』に江藤の首写真を掲載した際、「巷間、伝ふる所の芸妓小友云々の物語は、全然、跡形もなき事にして、見て来たやうな、嘘を吐く、講釈師の出鱈目である」と断じている。江藤と芸者と大久保暗殺にまつわる物語は、講談師の創作をきっかけに広まったのか、元々こうした噂があって講談になったのか、そこは定かではない。
講談では忘れられてしまったこの物語は、実は浪曲で今も伝わっている。演題を『江藤新平と芸妓お鯉』という。
芸者の名前は「小禄」でも「小友」でもなく「お鯉」であり、彼女は江藤新平からただ恩を受けたという設定になっている。世話になった江藤のむごたらしい写真を見て気の毒に思い、意地になって写真を買い集める。やがて政府高官の新年会に乗り込んで、思いのたけを訴える。
お鯉さんのこの演説、クドキが、浪曲の終盤で長い節となって展開される。切々たる心情がバラシの迫力と合致して、聴く者の心を強く打つ。
浪曲では大島伯鶴の講談と同じく、熱弁が実を結んで訴えが通じる。大久保が反省し、お鯉さんの無念、江藤新平の無念が報われる展開にほっとする。心のもやが払われるような気がする。もっとも、そのあとに島田一郎と大久保暗殺への唐突な言及があるので、安心は揺るがされ、奇妙な違和感が残るのだが。
江藤新平は実に不憫な最期を遂げた。捕縛後に急速に行われた裁判では弁明さえ許されず、かつての同僚たちによって惨刑に処された。それが可哀想だから、そんなことがまかり通る世の中であって欲しくないから、物語の中のお鯉さんは世間から奇異の目で見られてもひとり写真を買いあさり続ける。気の毒な死者のために熱情を注ぐ。
日本の古い芸能には鎮魂の役割がある。もしこれが中世の能ならば、江藤新平は亡霊として現れて無念を口にするだろう。文明開化の時代のこの話では、生きたお鯉さんが江藤の思いを代弁する。その意味でお鯉さんは巫女であり、依り代である。
何かに取りつかれたように写真を買い集め、時の最高権力者を前に熱弁をふるうことで、何も言えずに死んでいった敗者の魂を鎮める。一見モダンなこの演目には、そういう古風な構造がある。
現実の江藤新平は無残に死んだ。語りたいことを語れずに死んだ。歴史上の無数の弱者、敗者たちと同様に。虚構を通じてその無念をお鯉さんが晴らしてくれるから、生きている我々は束の間の救いを感じることができる。
