長崎

港家小そめの「コソメキネマ」 第3回

Center

 長崎滞在中は、ずっと良い天気でした。強い日差しの中、原爆資料館に行きました。

 訪ねるのは今回で二度目です。当時そのままの、11時2分で止まった時計、ひしゃげた鉄塔や、溶けたガラス瓶、影だけが焼きついた塀、ガラス片が突き刺さった穴がたくさん空いている上着。

 生活の痕跡が残る、そしてそれが一瞬で壊れたことが、リアルに感じられる展示は胸にずしりと来るものがありました。

 戦争も原爆も引き返す機会はあった。でも引き返すことはなかった。多くのものが失われるということがわかりながら進んでいく。個人の命や感情や人生や考えやそういうものが、大きな流れの前では無力になる。それがとても恐ろしかった。

 時間がいくらあっても足りず、また来るだろうと思いながら資料館を後にしました。

 平和公園の平和祈念像は思っていたよりずっと大きく、大らかで優しげな表情をしていました。なぜかずっと厳しい顔をしていると思い込んでいたので、意外でした。

「右手は原爆を示し左手は平和を 顔は戦争犠牲者の
 冥福を祈る」という長崎平和祈念像

 

 原爆が投下された爆心地。今は緑の草木が眩しい静かな場所ですが、実際その場に立つと大勢の人が亡くなったという事実が重く突きつけられる気がしました。皆自然と口数が少なくなりました。

 説明書き板に当時の白黒写真がそえられていました。今は黒くて高い石碑が立っていますが、写真には小さな石の柱に手書きで「爆心 Center」と書かれていました。

 なぜかその写真が深く印象に残り、東京に帰ってからもチラチラと頭を過るのです。