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エッセイについて
古今亭志ん雀の「すずめのさえずり」 第1回
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胃袋と芸の境界線
参考までに他の人のを読んでみた。
柳家さん花さんのは当人のキャラクター同様わけがわからない。う●この話をしている。
林家はな平さんは落語のオチを解説している。私はあんまり落語を知らないので、詳しい人に突っ込まれそうでこわい。
古今亭佑輔さんはメタバースと落語VTuberの話。VTuberとユーチューバーは何が違うのだろうか。わかったのは自分が時代に取り残されつつあるおっさんである、ということだけだった。
編集部から出されたお題で書いている人もいる。
私もいくつかお題候補をいただいたので、試しにこんなもの(お題は「そうめん」)を書いてみたのだが……。
■適量について
そうめんの適量がわからない。二束で一人前ということになっているらしいが、酒をほとんど飲まぬ代わりにまだまだ食べ盛りの私には物足りない。真に食べ盛りの大柄な高校生などは何束食べるのであろうか。
ところが三束にした途端に先ほどまでの空腹はどこへやら。スルスルと喉越し良く入っていったのが嘘のように、そのそうめんは水を含んでずっしりと重く、私の胃にもたれかかってくるのである。
適量、つまりほどほどであること。これは何事においても大切なことである。
我々落語家のマクラ(噺に入る前の導入トーク)に「お客様が少ないとやりにくい。だからと言ってたくさんいれば良いというものではない。どのくらいの人数がいいかというと……ちょうど今日くらい」なんというのもある。
噺そのものの演出についても、先人と同じにやっていたのでは退屈だし、だからといってなんでもかんでも今風の言葉やギャグに置き換えてしまっては素人の悪ふざけ。
お客様の好みと自身のキャラにちょうど合うように、ほど良く現代を取り入れられるのがセンスのある人ということになる。
そうめんは、きっと物足りないのが適量なのだろう。腹一杯になるまで食うような、そんな野暮な食べ物ではないのだ。
薬味とともにささっと。
薬味なら、家庭菜園で作っている大葉がある。もはや雑草のように生い茂り、とても使い切れない。
ここぞとばかりに入れた。大葉の味しかしなかった。
適量は難しい。