ドンといけ美馬 (後編)
鈴々舎馬風一門 入門物語
- 落語

生後まもなくの写真
一度は諦めた落語の世界
そんな頃に、とある大手芸能事務所から落語タレントへの道を提示してもらい、「落語家ではないが、芸能人になれるんだ」としっかり舞い上がっていたのもつかの間、その話は突然、頓挫してしまった。夢が打ち砕かれてすっかり意気消沈した私は、そのまま就職活動に専念することにした。すっかりいじけてしまったのだ。
就職先は、ずっと大好きなジュディマリのYUKIさんが下積み時代に働いていたというエステティシャンで、落語漬けの日々が一瞬にして美容施術の勉強の日々に変わった。上司や先輩は、優しくて綺麗な人ばかりで、覚えることが多くて大変だったが、毎日が充実していた。
しかし、誰より小さく細い。何ならお客様よりも断然小さく細いこの体には、想像以上の体力仕事で、気力は徐々に消耗していき、店の開店準備の掃除をしている時、部屋の明かりが学生時代の落語の大会で浴びたスポットライトに見えて、落語漬けの日々が恋しく感じた。「また落語がやりたい……」と一瞬にして当時の熱が呼び戻された。
上司に「落語がしたい」と退職の意思を伝えて1年で退職し、社会人落語家として趣味で落語を続けていくのに体力に余力を残せるように、とりあえず建築会社の事務として再就職することにした。
その時、寄席にふと行きたくなったタイミングで行われていたのが、学生の頃にお世話になった鈴々舎馬るこ師匠の真打昇進披露の興行であった。久しぶりに生の落語に触れて、ありがたくも「プロになりたい時は相談して」と仰っていただいたことを思い出す。そして、相談をさせていただいたところ、鈴々舎馬風師匠に入門のお願いに上がらせてもらうことになった。
これから私の落語家人生が始まるんだ
馬るこ師匠と一緒に、師匠のご自宅へ伺った日は、この上ないほど緊張したことを鮮明に覚えている。自分の思いをうまくお伝えできるように、当日まで準備も練習もしてきたが、実際に師匠にお目にかかると、緊張で頭が真っ白になってしまい、言葉がうまく出てこない。
師匠から「自分も高齢だからもう弟子をとるのは難しい」と断られてしまいそうなところで、馬るこ師匠が「自分が育てるから」とお話してくださり、おかみさんもご息女の桃恵さんも「この子は大丈夫よ」と後押しをしてくださる。そのおかげで、師匠から「それならば、頑張れ」とのお言葉をいただき、その日のうちに入門をお許しいただくことが叶った。
師匠のお宅を出た時の「これから私の落語家人生が始まるんだ」という胸が高鳴りは今でも忘れない。そして2019年に入門のお許しをいただき、今日まで見守ってくださった師匠、おかみさん、ご縁をくださった馬るこ師匠には、心から感謝をしてもしきれない。
7月1日に、両親を連れてご挨拶に伺った。師匠とおかみさんを前に、父と母も緊張していたが、父は「柳家かゑる」(師匠の二ツ目名)時代からの師匠のファンで、普段寡黙な父が師匠の前では饒舌になっていたのには驚いた。師匠は、私と両親に向かって「芸は後からついてくる」というお言葉をくださった。そのお言葉が今もずっと胸に刻まれている。
私はまだ名前が決まっていなかったが、最初に入門の挨拶にお伺いした日に、「小さいから、小さい馬で小馬(こま)でどうかしら?」とおかみさんが仰っていたので、その名前をいただくものだと思っていた。
その日、両親の前で、おかみさんが綺麗な便箋と筆を持って来られて、目の前で、「鈴々舎美馬(れいれいしゃみーま)」と名前を書いてみせてくださった。馬風一門は、おかみさんが弟子の名前をつけてくださる。便箋に美しい字で書かれた美馬の名前。一門の弟子になれて素晴らしい名前をつけていただけて、得も言われぬ喜びに満ちた瞬間だった。
その日の帰り道、ずっと「みーま、みーま」と繰り返しつぶやいては、「私は今日から美馬になったんだ!」と喜びをかみしめていた。