2025年5月のつれづれ(ありがとう一風亭初月、おめでとう港家小蝶次 浪曲界の未来へ向けて)
杉江松恋の月刊「浪曲つれづれ」第1回
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港家小蝶次の年季明け披露目と改名興行
次は明るい話題を。
現在の浪曲には、関東落語・講談界のような真打を頂点とする階級が存在しない。入門から4~5年程度で年季が明け、芸人としての一本立ちが認められる。上方落語の世界とほぼ同じだ。年季明けした芸人は、関東の落語・講談でいえば二ツ目にあたるのだが、浪曲に馴染みのないお客さんからは真打と混同されがちなので、困る場面もあるという。慣例では、入門後15年で弟子を取ることが認められるようになるので、だいたいそのへんが真打格だろう。
去る2025年4月29日に、日本浪曲協会の若手・港家柳一が年季明けの披露目と改名の興行を浅草木馬亭(東京都台東区)で行った。披露目の口上には師匠である四代目港家小柳丸のほか、協会副会長である曲師の佐藤貴美江、同じく理事の澤順子、落語立川流真打・立川談四楼、落語芸術協会所属の太神楽・ボンボンブラザースの鏡味繁二郎が座った。
鏡味繁二郎は、喜劇俳優・堺駿二の甥である。その堺駿二の兄が初代・港家小柳丸、というのが口上に招かれた所以だ。
また、立川談四楼は、実は柳一の元師匠である。落語家・立川語楼として、約1年間門下で修行していた時期があるのだ。談四楼は、東京・下北沢の北沢八幡宮で隔月の独演会を行っている。そこで柳一が初高座を踏んだのを筆者も聴いた。口跡がよくて明るい落語だと思ったのだが、いつの間にか辞めて浪曲師になっていたのである。そういえばあの声は浪曲向きだったか、と木馬亭で舞台を聴いて改めて気づいた。
柳一は、この日をもって、港家小蝶次となった。「こちょうじ」と読む。新鮮に感じる名前は、初代小柳丸こと栗原留吉が、15歳で港家柳蝶に入門したときに名乗った小蝶にちなんでいる。そのまま小蝶では初代に対して畏れ多いということで、それに次ぐという意味をこめてこの名になったのである。
師匠譲りの明朗な節は聴きやすく、これから成長の余地がある浪曲師だと思う。頑張っていくはずですので、みなさんどうぞご贔屓に。