便利な言い訳をください

柳家さん花の「まだ名人になりたい」 第1回

雪球とチョーク

昔から無気力だったわけではない。子どもの頃は、大変活発でひょうきんだった。男の子は、よく物を投げる。

小学校6年生の冬、大雪が降った日、家の近くの高速道路の壁に人が通れるくらいの小さな穴があった。友だちとそこから高速道路に出て、積もった雪で雪球を作り、走っている車に投げつけた。すぐに一台の軽トラが止まり、怖そうなおじさんが二人降りてきて、怒鳴りながらこっちに歩いてきた。一目散に逃げ出したが、「お前たち、近くの小学校の生徒だろ。今謝らないと、学校に連絡するぞ」と言われ、渋々おじさんの元へ走った。謝ると、なぜ危ないかを説明し、高速道路には入らないように言って、軽トラに乗って去って行った。怖そうだけど、まともなおじさんだった。

中学生の頃、黒板前の教壇にチョークが数十本入った箱があった。友だちとそれを持ち出し、廊下でチョークの投げ合いをしていた。友だちの背後から先生が鬼の形相で走ってくるのが見えた。それでも投げ続け、先生の平手が私の頬に当たる瞬間まで投げていた。私は毎日のように怒られたが、先生を悪く思ったことは一度もない。度が過ぎるわんぱくの前では、多少の体罰は日々の彩りだった。そんな私が卒業アルバムに書いた将来の夢は、「寝たきり」。不登校になるわけでなく、みんなが読み、ずっと残る卒業アルバムに「寝たきり」と書く。これはつまり、ファッションだったのではないか。

振り返ると、私は無気力ではなく、「やる気がない」と思われたいだけだった。全力で挑む姿や、成功して喜ぶ姿、敗れて泣く姿を見られたくなかった。それは、学校でうんちをするのと同じだ。私の無防備な感情は、うんちです。やる気のないふりをし続けて45年。無気力ピエロの大ベテランだ。

最近は歳をとり、身体の不調も出てきた。人生の折り返しを意識し、ようやく素直に気持ちを出せるようになってきた。これからは無様に挑んで泣こう。今なら、学校でうんちができる。誰か一緒に学校へうんちをしに行きませんか? お便りを待ってます。