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小じかの一歩目 (前編)
鈴々舎馬風一門 入門物語
- 落語
師匠の姿に感銘を受ける
落語家はお笑い芸人と違い、養成所などはない。自分がこの師匠の弟子になりたいと思った人に弟子入りの志願をする。もちろん誰でも弟子に取っていただけるものではない。その師匠ごとの考え方や実生活の状況などによって断られることもあれば、想像していたよりもすんなり入門できたりと、入門エピソードは芸人ごとに十人十色である。ここでは私の入門エピソードを話していきたいと思う。
私の師匠は、五代目柳家小せんである。師匠との出会いは、何を隠そう落研だ。先にも述べたが、落研には大会がある。師匠はその大会の予選に審査員として参加していた。その頃の谷口くんは大学三年生。落研に入ったことで寄席などにも足を運び、なんとなく落語家を知っているような状態だった。だからもちろん、審査員で入っている師匠のことも知っていた。
その大会で、私は『死神』を高座でかけた。今考えてみると、落研時代に高座でかけた根多はどれも自分の手に負えないようなものばかりだったなと思う。若気の至りということで勘弁していただこう。話を戻すが、素人時分に師匠に落語を見ていただくという貴重な経験をした。それだけではなく、予選会の後、師匠は落語の講評をしてくださったのだ。
「審査員だから、講評をしてくれるのは当たり前なのではないか?」
そんな風に思った人がいるかもしれない。当たり前ではない。それが総評なら当たり前なのかもしれないが、師匠は学生一人ひとりの落語に講評してくださったのだ。それも予選通過者だけではなく、参加者全員を対象に時間の許す限り対応いただいた。
そんなことをしていただけるなんて思ってもいなかったので、今でも鮮明に覚えている。師匠は出場者の名簿にそれぞれびっしりとメモをとっていた。「もっと声を出したらいい」などの基本的なことから、「その根多の演出はこうすれば効果的ではないか」などの専門的なこと、細部に至るまで講評をしていただいた。
その頃は、まだ落語家になりたいというはっきりとした気持ちはなかったが、もし落語家になるならこんな風に真剣に向き合ってくれる師匠のもとで修行をしたいと思ったことを覚えている。
やがて大学四年生になり、卒業が近づくにつれ、進路のことを考えなければいけなくなった。就職をしようか、はたまた進学をしようか。普通の学生は頭を抱えて悩む問題だろう。
だが私はそんな迷いはなく、落語家の一択だった。芸人という職業は、先の見えない不安定な職業である。将来に不安がないと言えば嘘になってしまうが、人生は一度きり。やらない後悔よりもやって後悔のほうがいいだろうと思い、「ちょいとやってみよう」という落語の登場人物さながらの気持ちで弟子入り志願を始めたのだ。だが……。
(5月24日公開予定の後編に続く)