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小じかの一歩目 (後編)

鈴々舎馬風一門 入門物語

もっと色んなものを見ておいで

 よく弟子入り志願を断られた子がすぐに来なくなるという話があるが、その気持ちはよく分かる。一度言えただけで満足してしまうほど、勇気のいる行動なのだ。だが、それで満足してしまえば、落語家という道は開くことができない。それでもそれでもと、何度も行かなければ行けないのだ。

 私も断られた後も、師匠の落語会に足を運び、何度も弟子入り志願をした。その結果、師匠から話を聞きましょうと機会をいただいたのだ。
 「寄席終わり、楽屋口においで」

 師匠からいただいた連絡。普段は寄席には客として行くため、楽屋口なんてのはどこか分からない。ここであっているだろうかと確認しながら、師匠が出てくるのをじっと待つ。あの時間は、無限にも感じるほど長かった。実際は三十分程度だったかもしれない。

 色んなことを頭の中でグルグル考えていると、師匠が寄席から出てきた。「じゃあ付いておいで」とその後ろを黙って付いていく。

 近くの喫茶店に入店。「なんでも好きなものを頼みなさい」と言っていただいたが、それどころではない。目についたアイスコーヒーを指して「これで」と言ったような言わなかったような。注文したものが到着すると、師匠は自身の現状を包み隠さず話してくれた。コロナ禍の影響や、師匠には今、見習いの弟子がいることなど。

 もちろん自分の話だけではなく、私の話も聞いてくださった。そのうえで師匠はこうおっしゃってくださった。

 「俺も師匠に入門を許されて、落語家になった。だから君の落語家になりたいという気持ちを尊重したいと思う。そのうえで今、君は視野が狭くなっているから、もっと色んなものを見ておいで。それでも俺のところに来たいと思ったなら、またおいで」
 この言葉に、この師匠のもとで落語家になりたいと思ったすべてが詰まっている。

 ここから半年から一年ほど、師匠に言われた通り、色々なものに目を向ける時間を作った。落語協会の他の師匠や落語芸術協会、圓楽一門会に立川流。落語だけではなく、歌舞伎や演劇、映画に至るまで、色々な芸能に触れた。私の人生において、ここまで文化的な生活をした期間はなかった。

 しかし、あの時、師匠に色々とお話をお伺いした時点で、正直、師匠のところに弟子入りできないのであれば、落語家になるのは諦めてもいいと思っていたのは、ここだけの話である。