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紀尾井町の占い師 (前編)
神田伊織の「二ツ目こなたかなた」 第1回
- 連載
- 講談
占い師登場
清水谷公園をあとにして、紀尾井ホールへと戻る。もう、開演十分前だった。人の群れが、建物の中へいそいそと入っていく。チケットを取り出して続こうとすると、
「あれ」
「あっ」
二人同時に声を発した。
目の前に、中学・高校の同級生が立っていた。いかにも高級そうな青のスーツに真紅のネクタイという派手ないでたちは、どこかうさんくさくもあったが、これがこの昔からの親友の仕事着なのだった。
出くわしたのは、偶然というわけでもなかった。
この日のめあては高校時代の先生が企画したチャリティーコンサートだった。先生は、二年前にご子息を亡くした。二十一歳だった。幼い頃からチェロに親しみ、数々のコンクールで金賞を獲り、将来を嘱望されていた。ところが突然、白血病を宣告される。入院生活では、周りの患者への気遣いから音を出すことが許されなかった。強いストレスを感じ、音のある世界で過ごしたいと切実に願いながら亡くなった。
ご子息のその思いを継いで、先生は病院に防音室を寄付するための団体を設立した。この日のチャリティーコンサートは、その活動のひとつとして催されたもので、友人も先生との縁で来場したのだった。
この男の職業は、占い師である。
大学卒業後、しばらくは手堅い職に就いていたが、三十代で本職の占い師になった。知られざる売れっ子で、都心の一等地にサロンを構え、雑誌に連載を持ち、熱烈なファンによって数か月先まで予約が埋まっている。
幼い頃から他人の未来や運勢がヴィジョンとして見えたという。長らくそれを家族以外には隠していたため、高校時代に幾度となく語らい、毎月の文通まで交わしたことがあるのに、そんな特殊能力があるとはつゆ知らなかった。
二十歳を超えた頃に急にカミングアウトしてきた。問うてもないのに運勢を告げられ、前世を教えられ、「すべての人は頭上から天に向かって管が伸びていて、天界でつながっている。人はそこから地上へ生まれ落ち、死後はそこへ帰っていく」などと言われた。
世の中にはいろいろなカミングアウトがある。それが何であろうと、誠実に受け止めるのが友人の務めだろうから、「へえ、そんなものかねえ」と答えてその後も変わらずに付き合いを続けている。
ホールの入り口では、厳重な手荷物検査が行われていた。大勢の警備員が待ち構えている。ろくに荷物もないのに、妙にうしろめたい気がしておたおたとうろたえたのは、ついさっきまで暗殺の歴史に思いを馳せていた名残かもしれなかった。
「同級生、ほかに誰かいるかな」
占い師がつぶやいた。たしかに誰かに会えたらうれしかろう。そう思ったら、まるで逆の意図だった。我が親友の占い師は、同級生に会うことを恐れていた。聞けば、少し前に同級生の集まりがあったとき、特異な転職を知られて珍しがられ、底意地の悪い質問を根ほり葉ほり投げかけられたのだという。
ああ、それではこの男も、己の感性に忠実に生きようとしたがために、多くの旧友を失ったのか。カリスマ占い師の悲しい告白にいじらしさを覚え、社会の正道を踏み外してしまった者同士の連帯を感じた。