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紀尾井町の占い師 (前編)
神田伊織の「二ツ目こなたかなた」 第1回
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- 講談
江藤新平の晒し首
開演を告げるブザーが鳴る。急いで席につく。優雅にドレスをまとった司会者が現れ、挨拶のあとにチェロの演奏がはじまった。
なんだか落ち着かなかった。演芸場の雰囲気にあまりに慣れてしまっているから、格式高いコンサートホールに身を置くとどぎまぎするのだった。
演奏は続く。困惑する身体に、徐々に様々な想念が沸き起こってくる。
紀尾井坂で暗殺された大久保利通をめぐり、まことしやかに伝わる話がある。四年前に処刑された江藤新平と関わりがあると言うのだ。
江藤は司法卿として政府の中枢に身を置きながら、後に佐賀の乱の首謀者として捕縛された。裁判においては、大久保の意向により、弁明の機会も与えられずに死刑判決が下った。即日斬首され、その首は獄門にかけられた。それのみならず、晒し首の写真が巷にばらまかれた。
江藤には新橋芸者の妾がいた。名を小禄と言う。小禄は江藤の首写真が街中で売られているのを見ていたたまれず、すべて買い尽くそうと決意するが、いくら買ってもきりがなかった。すると、新橋のしがらき亭において宴会があり、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、西郷従道らが集まった。
芸者として招かれた小禄は、政府高官を前に涙を流して熱弁をふるい、写真の販売をやめるように訴えた。座は白けた。大久保は大音声に「小癪な」と小禄を怒鳴りつけた。
このとき、宴会場の隣室に控える巡査がいた。島田一郎である。騒ぎを耳にして何事か思い詰めた様子だったが、翌日職を辞した。果たして大久保は、四年後に紀尾井坂で島田の手にかかって惨殺される。
この話の詳細は、昭和六年に刊行された村山長章著『佐賀戦争追憶談』に記されている。著者がどこからこれを伝え聞いたのか、典拠は定かでない。史実にしては、あまりに話がよくできすぎている。どこまでが事実でどこからが作り話なのかあやふやで、まさに一席の講談のような話だ。大久保暗殺の知られざる原因の物語として面白く、現代の講談で読まれていないのが惜しく思える。
しかしそう考えると、そもそもこの話は、当時の講談師によってでっちあげられたのではないかという疑いが生じてくる。
(後編に続く)