旅路はすべて酒のなか

三遊亭司の「二藍の文箱」 第2回

ひとしおじちゃんと10円玉と

 日本の列車は山間を行くために、様々な工夫がなされたと聞く。いわゆる「鉄」ではないが、それくらいは知っている。あずさ号には「空気ばね式車体傾斜」が採用されており、カーブ入線時の安全性、安定性への技術力の高さは、やはり中央に山並を擁する狭い列島ならではだろう。

 右へ左へ、時に隧道(すいどう)をくぐり、乗車から約2時間。左側の車窓には諏訪湖が見えてくる。きょうは富山まで約6時間列車に揺られるだけなので、極々気ままだ。白馬、南小谷、糸魚川、泊、四度の乗り換えも同一ホーム。ただし、乗り換え時間2分の大糸線からの糸魚川で、自販機でどうしても麦茶を買いたいわたしを、運転手さんが「おい、間に合うんだろうな」と心配そうな顔で見ていた。

 南小谷から糸魚川までは、大糸線。姫川を挟んで車が通る洞門がいくつもあり、その横を大糸線も行く。雪解けの水であろうか、水嵩増した姫川が目に涼やか。

 やがて、日本海に出る。

 途中に通る越中宮崎は、鱈汁(たらじる)が名物だ。子どものころ、母の兄、ひとしおじちゃんが夜通し運転する車で富山に来たことがある。朝6時からやっている海辺の食堂で食べた鱈汁の旨かったこと。その食堂の公衆電話から母に電話をかける時、ひっきりなしに10円玉をつぎ込んでいた記憶と対になっている。それは、男はつらいよの寅さんが、とらやに電話をする光景そのものだ。「お兄ちゃん、いまどこにいるの」と、さくらならぬ、わたしの母も訊いたであろう。

 車窓から立山連峰を見ていたが、富山駅まであとわずか、滑川駅を前に席を移す。

 駅を過ぎたあたりに、母方の実家の墓がある。車窓から5階建ての滑川市役所(と、思い込んでいた建物は市民交流プラザだった)を探して、そこから目を落とせば、そのあたりが墓地の見当なのだが……と見ていると、墓は見えないまでも、墓地を囲う黄色い柵が目に留まる。海と生家に近いその墓で、ひとしおじちゃんも眠っている。

 何年か前に墓参したおり、おじちゃんの好きだった富山の地酒『立山』をお供えした。地酒が豊富な北陸にあって、親しまれている酒である。いまの墓参は味気ない。お供えは持ち帰りましょう、と。近所でもないし、誰かの迷惑にもなれないので、素直に持ち帰る。すると、四合瓶の『立山』が手から滑り落ちて、墓石の前で見事に割れたことがあった。

 今夜は、そんなおじちゃんの代わりに『立山』を飲む。

湯気の向こうの日本海