泣きっ面にう○○

柳家さん花の「まだ名人になりたい」 第3回

ひまわりに導かれた彷徨

 今月のテーマは、「ひまわり」。7月14日が「ひまわりの日」だそうだ。

 毎月、編集の方からいくらかのお題をいただいて、その中からテーマを選んでいるが、今までは正直どれでもよかった。来月以降も、どれでもいい。テーマを気にせず思いつくことを書いて、時々辻褄を合わせようとするだけだから。

 ただ今月のテーマは、絶対に「ひまわり」だ。なぜなら、私がゴッホだからだ。棟方志功が「わだばゴッホになる」と言ったそうだが、私はゴッホだ。元々ゴッホなのだ。なろうとしなくて良いのだ。

 なぜ私がゴッホかなんて、どうでもいいだろう。これは「みなさん、興味ないですよね?」ではなく、「当然のことだから、説明するまでもないですよね?」だ。

 その上で説明しよう。

 私が二十一歳、五代目小さんの落語をDVDで見て弟子入りしようと思ったら、すでに他界されており、それでも落語家になろうとネット検索したら、圓丈師匠のブログが引っかかり、これは運命だと思い込み、弟子入り志願したら「君が好きなのは柳家、うちは三遊派。あと君は僕の落語聞いたことあるの? え? ないの? それじゃあ、まず寄席に行きなさい」という圓丈師匠の至極当然のお言葉で、失意のどん底に落ちたのち、彷徨い歩いた大都会新宿。

 私は、損保ジャパンビルのすごく高い階にいた。目の前には、ゴッホの『ひまわり』。見た途端に頭の中が真っ白になり、腹の底から無限のエネルギーを放出する太陽が昇り始めた。

 目の前には確かにひまわりの絵があるのに、私にはゴッホがじっと私を見つめているように感じる。そして、ゴッホが自分のことを包み隠さず伝えてくる。私は全て理解した。私がゴッホなのだと。

 だが、安心してほしい。私だけがゴッホなのだと言っているわけではない。あのひまわりを見て、同じようになる人はいくらでもいるだろう。皆、間違いなくゴッホなのだ。