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どの噺からするべきなのか

柳家小志んの「噺家渡世の余生な噺」 第3回

第三部:過去を語れば、噺は尽きぬ

 気づけば、また自分語りになってしまった。だが、これからお付き合いいただくにあたり、書き手の人となりを少しでも知ってもらえたなら、という思惑でもある。

 とは言え――。

 思い起こせば、私の母方の祖父は沖縄・国頭郡本部町の生まれ。若き日に親族を頼って、神奈川・横浜市鶴見区仲通、通称リトル沖縄へと出てきた。祖母は長崎、父方の祖父母は千葉・富津の出身。

 両親は、それぞれどこで生まれ、どのように育ち、どこで出会い、姉が生まれ、やがて私が誕生し、そして、どのような人生を歩んできたのか――。

 「さてさて、いよいよ面白くなるところでございますが――この続きは、また次回!」

 ……などと、講談語りを始めてしまったら、この連載など一年あっても足りはしない。だから今日はまだ、「どの噺から始めようか」という、ただの躊躇いの噺に留めておく。

 歳を重ねると、人は自然と「段取り」に重きを置くようになる。若気の至りはとうに消え、今では「段取り八分」などと口にしてみせるが、人生という噺は得てして、その通りに進んではくれない。

 師匠に弟子入りを願い出たのは、もう二十年ほど前のこと。噺家渡世の道を志すにあたり、私は、努力と実力と収入は必ず比例するものだと信じていた。その思いがあったからこそ、入門の怖さを、なんとか乗り越えることができたのだ。

 けれども、「信じていた」と今こうして書いている時点で、それが既に幻想だったと、証明してしまっている。何を語ろうとも、最後は笑い、少しの哀しみ、そして、もう一度笑えるような噺で終わりたい。

 さて――。

 次回こそ、どれか一つ、本題に入るとしよう。たぶん、だが。

(毎月14日頃、掲載予定)