21900のいただきます
シリーズ「思い出の味」 第1回
- 落語
ろく、ごはんよ
師匠をしくじると、「しばらく二階に行ってろ」とおかみさん預かりとなる。師匠宅ではわたしが食事をつくっていたが、二階ではおかみさんが食事をつくってくれていた。わたしが入門してすぐに喜寿の祝いがあったが、おかみさんはちょちょいとトンカツなどを揚げる。朝の掃除や家事が済んだ頃合い、昼前後になると「ろく、ごはんよ」と声がかかって台所へ行く。
田端三木助学校と呼ばれるほど、前座修行が厳しいと評判だった三代目の桂三木助一門からは、多くの大看板が卒業している。春風亭柳橋、三遊亭圓輔、入船亭扇橋、林家木久蔵、柳家小はんなどなど。おかみさんの手料理を三代目や門弟たちも、あの日のわたしのようにみな食べたに違いない。そして、あれが師匠三木助が四十年近く食べ、慣れ親しんだ味だったのだろう。
それだというのに、なんだかんだありながらも、来る日も来る日もわたしに料理をつくらせてくれていたのは、師匠の愛情にほかならない。おかみさん、師匠にとってはおかあさんの料理のほうが口にあってたはずなのに。
師匠はわたしの料理を食べて、わたしはおかみさんの料理を食べて、一生懸命にたかだか18歳の闖入者を家族にしようとしてくれたのに、そう、わたしは、おかみさんの言を借りるまでもなく、勝手にしくじりを重ねて、勝手にいなくなってしまったのだ。きのうまでそこで一緒に食事をしていたというのに。