バンビ物語 (後編)

鈴々舎馬風一門 入門物語

バンビ物語 (後編)

師匠、馬風と一緒に

柳家 三語楼

執筆者

柳家 三語楼

執筆者プロフィール

車の運転とバックダンサー

 弟子の大事な仕事の一つに車の運転があります。免許がないと入門できないことになっており、私は運良く免許を持っておりましたが、ペーパードライバー。着物の着付けももちろんですが、入門当初、一番時間を割いて稽古したのが車の運転。当時、師匠はトヨタ・クラウンマジェスタに乗っており、こんなに大きな車は一度も運転したことがありません。

 師匠は怖がって乗ってくださらないので、お内儀さんが連日、助手席に座り、寄席や東京駅、羽田空港への行き方、首都高の乗り方、近所のスーパーの駐車場で車庫入れや縦列駐車の特訓をしてくださいました。

 私は運転すると、車がどうも左に寄る癖があったようで、「バンビ、左に寄ってるッ!」とお内儀さんの肝をいくたびも冷やしてしまったようです。そうして、お内儀さんの特訓のおかげでシャキシャキ運転できるようになり、
 「お前な、師匠を乗っけてるんだから、もう少し丁寧に運転しろ」
 と師匠からお褒めいただくようになりました。

 師匠のバックダンサーも前座の重要な仕事です。師匠が高座で客席を沸かせて、その流れで持ち歌の『お手上げ節』と『峠の唄』を歌い、前座は後ろで踊って途中でズッコケたりするんです。

 自分の力でウケてる訳ではないんですが、コケるたびにドカンとウケるので味を占め、「馬風」のメクリを何枚も出してみたり、最初の頃は二人で踊っていたのが、途中から楽屋の前座総出で賑やかに踊るようになったりと段々エスカレートしていきました。

 二ツ目昇進間近の浅草演芸ホールでは、私がズッコケる際に変な手の付き方をして転び、指を骨折。ギブスで前座仕事を勤めることになり、師匠にもご迷惑をお掛けてしまいました。高座で骨折した噺家は、おそらく私だけでしょうね。

 その後は、怪我に気をつけながら高座から落ちるようにし(笑)、慌てて舞台に這い上がろうとしてはまた落ち、弟弟子の風柳くんに引き上げてもらうくだりで、高座前のフットライトに当たって「熱いッ、熱いッ!」と叫ぶと、客席がまたドカンとウケます。

 さらに、高座に上がった私の帯を風柳くんが引っ張ってモップのように私を引きずり回すという派手でクサイ芸をやって、師匠がウケ過ぎて歌えなくなったことも度々ありました。師匠にウケてもらえたのがとても嬉しかった。

 師匠は、楽屋のモニターで弟子の高座を聞いていて、その都度、色々とアドバイスをくださいました。
 「楽屋は、用事のある時だけいればいい。ソデ(舞台袖)で色々な人の噺を聞いて勉強しろ」
 「噺は間だ。間が良ければ笑うし、ウケないのは間が悪いからだ」

 一度、私が高座で絶句した時は、
 「絶句するのは、一番いけない。とりあえず分かるところまで噺を飛ばせ」
 と、師匠に教えていただいたこともありました。