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青春の終わりに入門。青春の始まりの入門 (後編)

鈴々舎馬風一門 入門物語

青春の終わりに入門。青春の始まりの入門 (後編)

大師匠、師匠、花緑兄者とお客様との一枚

柳家 獅堂

執筆者

柳家 獅堂

執筆者プロフィール

『子ほめ』と二二六事件

 初高座は、『子ほめ』。兄弟子、鈴々舎馬桜に丁寧に稽古を付けていただきました。あまり馬桜師匠は意識されてはいなかったのですが、私たちの前座の代は、「ちょっとここまで多いと、問題あるのではないか?」と疑問も湧く、『子ほめ』興隆期でござんした。

 当時は理解できなかったのですが、人間年齢を重ねると共に生じる、不変なる、老いへの心証をも描いている、特に落語をあまり聴かなかった中高年の方々にたいへんにウケ続け、「厄そこそこ」などと、その場で流行っていくのだなと度々体感しております。

 安直に『子ほめ』かよ!と、揶揄もされる前座噺ですが、大師匠小さんが二二六事件に初年兵として参加させられていた際に、上官の命令より「皆を勇氣付けるために、落語を演れ!」。

 2万人の鎮圧部隊に囲まれて、興奮と怒声が渦巻いた部屋。夕刻と共に絶望的な空氣に支配された部屋で、ご機嫌を伺う『子ほめ』。この状況を冷静に見つめていた、後に埼玉県知事となる畑和氏が「誰も笑わず、静まりかえっていた。明日はどうなるかわからないという瀬戸際では、当然だろう」と、著作に記している。

 翌日の投降勧告に折れて、4日間の事件は収束いたしますが、噺家はこの事件を心に刻み、恒久平和と、いつでも誰の命令でも「ヤダね」と言える時代をつくる努力を続けるべきだと思います。

 拙の初高座『子ほめ』は、当時入りたての前座で、どこの寄席に入っていても終業後に毎日落ち合い、鼓舞し合っていた、親友付き合いをしていた同期の仲間と、二ツ目になってまだ浅い先輩が客席で聴いていてくださった。

 拙が緊張しないように氣配りをいただきましたが、氣合を込める初高座となりました。カセットテープに録音して「いい出来だった。私は嫉妬したよ。このテープは君が二ツ目になった時にお渡ししよう」と、氣障な台詞を送ってくれるのでしたが、当然そんな約束は忘れ去られるのが、お約束ですよぉ。当時、たいへんに仲良く過ごさせていただいた仲間は、早逝されてしまった。