たいこ腹、粗忽長屋、甲府い

林家はな平の「オチ研究会 ~なぜこのサゲはウケないのか?」 第2回

六席目 『甲府い』 ☆☆☆

【あらすじ】

 両親に先立たれ、親戚に育てられた甲府(今の山梨県)生まれの善吉(ぜんきち)。身延山(久遠寺)に5年の願掛けをして、東京で身を立てようと出てきたが、浅草でスリに会い無一文に。腹を空かせて、出来心で豆腐屋の店先のおからを食べてしまう。

 店の若い衆に見つかって殴られそうになるところを親方が止め、事情を聞く。親方も日蓮宗を熱心に信仰していて、これは何かの縁と家に置くことにする。それから善吉が豆腐の荷を担いで「豆腐ーい、胡麻入りー、がんもどき」と売って歩く。

 3年後、善吉の働きぶりと人柄に惚れ込んだ親方夫婦は、善吉を娘のお夏の婿として迎える。夫婦になった二人が店を継いで、善吉が東京へ出て来て5年の月日が経つ。身延山に願解き(がんほどき)でお礼参りに行きたいと言う。親方夫婦は、もちろん喜んで送りだすことにする。

 翌朝、親方夫婦に振る舞われたお赤飯とお酒を飲んだ二人は、旅ごしらえで振り分けの荷物を持って身延山へ旅立つ。

【オチ】

 普段、豆腐を売る姿しか見たことのない二人が、旅姿なのを見て驚いた近所の者が声をかける。

近所の者「おーい! お二人さん! どこ行くんだーい?」
善吉「甲府ーぃ」

 てえと、後から付いて来たお夏が、

お夏「お参りぃー、願ほどきー」

【解説】

 「豆腐ーぃ、胡麻入り、がんもどき」と、「甲府ーぃ、お参り、願ほどき」が掛かっている。

 洒落で終わるオチは、☆1つにしがちだが、この噺には☆を3つあげたい。3つの単語が掛かっているのも要因だが、人情噺に近く、しっとりした内容で笑いも少ない噺なのに、最後が洒落で終わるところがなんとも可笑しいのだ。まじめな若夫婦に洒落を言わせているのが好きだ。これは筆者の主観だから仕方がない。

 オチを善吉ひとりに、ひと息で言わせる型の方が多いと思うが、筆者は夫婦二人の割り台詞にしている。お夏の優しい売り声が噺を包み込むような気がするからだ。

 この噺は、とくに山場はない地味な噺だ。信心のおかげか、縁に恵まれ良い人(世話焼きの親方)に出会った主人公が商売をさせてもらい、所帯も持てたというただそれだけの噺だ。

 だけど、人の一生はそういう縁の積み重ねで成り立つものだと思うので、筆者には妙に共感がある。

 それと「江戸」を「東京」と呼ぶようになったのは1868年の明治以降で、歴史は意外と古い。教えて頂いた方が「東京」だったので、筆者も東京で演じている。

(毎月6日頃、掲載予定)