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メタバースと落語

「古今亭佑輔とメタバースの世界」 第1回

芸とテクノロジーの交差点で考える

 VR落語にネガティブなご意見もあるのは、重々承知している。

 「VR落語は、もはや落語ではない」といったご意見もある。落語とは想像の芸であり、何もないところからお客様の頭の中で想像し、情景を造り上げることで成立する。しかし、VRでは落語特有の繊細な表現をしづらいのが現状だ。

 さらに、VRのアバターは歳を取らない。そして、どんなに現状で苦悩をかかえていても、アバターだけは綺麗なままだ。落語とは「人間の業を語る芸」だと思う。人間の愚かで愛おしい様を滑稽噺や人情噺、時には怪談噺と形をかえて表現する。アバターにはそれができない。

 近年では技術も発達してきて、多少繊細な表現も可能になってきているが、言葉でどんなに表現をしても、やはりその風情というものは顔や、積み上げてきた芸に出てくるものだから仕方がない。正直、まだまだ課題は多い。

 ここまで書くと、「VRで落語をやることに意味があるのか?」との疑問も湧いてくるだろう。しかし、個人的には、VR落語は「一種のエンタテインメント」として成り立つと思っている。それはもう落語ではないのかもしれないけれど、落語の形を持つ違うエンタメだ。

 だから自分は、野暮だと言われようと、VRならではの良さを最大限に引き出した演出をする。落語の担い手として、「なぜメタバースの中で落語をやるのか」という意味を常に考えなければならない。

 リアルを追求してVRの良さを殺してしまっては、もはやVRで落語をやる意味がないからだ。

言葉を失うほど超リアルな再現度。二階席にも上がれる