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日常を鮮やかに描く言葉の力 神田茜(前編)

「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第21回

日常を鮮やかに描く言葉の力 神田茜(前編)

神田茜 近影(日本講談協会HPより)

瀧口 雅仁

執筆者

瀧口 雅仁

執筆者プロフィール

講談に出会ったきっかけ

 落語の世界で「古典落語」と「新作落語」というと、その分け方は多々あるが、明らかに現代を舞台にし、今の時代を生きる人を主人公にした噺は「新作」と位置づけられよう。ところがそれが講談になると、戦後昭和、そして平成に活躍した人物や事件を扱う話もあり、また過去の人物の逸話や本当にあったの?といったフィクショナルな話が読まれることも多く、時に「古典講談」と「新作講談」の違いを説明するのは容易ではない。講談は時代とともに歩んできた芸能だからである。

 そうした中、絵本や童話を読むように、やさしく自らの経験談を基にした物語を読み上げていく講釈師がいる。今回紹介する神田茜がその人だ。インタビュー中に登場する話の演題もユニークで、時に紙芝居を取り入れるなど、独自の講談観が話の世界を押し広げていく。だが、その講釈師人生は決して平坦なものではなかった。今回は現代新作講談の旗手とも言える神田茜に、まずは衝撃的な告白とも言えることから、あれこれと尋ねてみた。

―― 月並みな質問からになりますが、まずは講談に出会ったきっかけを教えてください。

 一昨年に、私がかつて統一教会(正式には世界平和統一家庭連合であるが、この項では、以下、統一教会と表記する)に入っていたことを告白したんですが、実はそれからは、以前とは異なる話をするようになりました。

 統一教会にいた時に、あまりにも肉体的に辛くて、脱走をして、廃人のようになっていた時のことですが、たまたまNHKのテレビで放送されていた『スタジオL』という番組で、講談特集をやっていたんです。家に引きこもっていて、親が寝てからテレビをつけてという生活をしていた頃です。

 三日連続の番組で、一日目は師匠(二代目神田山陽)が講談をやっていて、二日目は今のお姉さん(姉弟子)たちが稽古をしていました。最後の日に紅お姉さんが「前座がいないので募集しています!」と話していて、三日連続で見ちゃったし、「講談が私を呼んでいる、これをやろう!」と、1985年(昭和60年)の12月に上京したんです。

―― それまで講談を聴いたことはなかったんですか。

 ほとんどありません。でも渋谷のジァン・ジァンで、紫お姉さんが阿部定の講談を読んでいるのを見て、一人芝居をやっているみたいだなと思って、その頃、人を喜ばせる仕事をしたかったんです。それは宗教の影響かもしれません。償いをしたかったんです。