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松鶴、鶴光、羽光、羽太郎の四世代の飲食
シリーズ「思い出の味」 第10回
- 落語

今も思い出す、懐かしい料理の味と、かけがえのない時間の記憶
師匠は語る、僕は食べる ~師弟の食事風景
我が師匠・鶴光は、若手の頃……というから1970年頃だろう。その師匠の(僕にとっては大師匠にあたる)六代目松鶴師匠と、うどん屋に入ったのだそうだ。
松鶴師匠は、きつねうどんを注文した。落語の世界では、御馳走してもらう者は同じか1ランク下の食べ物を注文すべきなのだが、うちの師匠は、きつねうどんに玉子入りを注文した。そうしたら「なんでお前だけ玉子入っとんねん!」と怒られたらしい。
エッセイを書かせていただいている僕は、鶴光の四番弟子の羽光である。2007年(平成19年)に34歳という高齢で入門した。
うちの師匠は、あまり弟子と飲食を共にしない人で、ご自宅にもほとんど行ったことがないので関わりが密ではない。東京の鶴光一門にとって修行とは、寄席修行のことである。落語芸術協会に所属させてもらい、浅草演芸ホールや末廣亭に前座として入り、太鼓を叩いたり、師匠方の着物をたたんだりして4年間修業をする。
だから師匠と接するのは、稽古してもらう時か、寄席や仕事で一緒になる時だけだ。一緒に食事する機会はあまりない。
まれに落語会のあと、世話人さん主催の全体打ち上げで師匠も同席されることはあるが、そこは師匠や演者にとって公(おおやけ)の場で、対外的な振る舞いが求められる。そのため、師匠もかなり喋って場を和ませる。
また、そういった酒席では、だいたい飲み放題コースが多く、食べ物もドンドン出てくるので、僕は自由自在に飲食を楽しむ。さらに僕は酔ってきたら満腹中枢がおかしくなり、大量に食べてしまう。師匠は話に夢中なので、僕の飲食態度には気づいていない様子である。
そのような雑多な飲み会なので、師匠と深い話をすることもなかった。