恩人について

「すずめのさえずり」 第三回

恩人について

画:原田みどり

古今亭 志ん雀

執筆者

古今亭 志ん雀

執筆者プロフィール

私の青春を支えてくれたもの

 生まれてから今日に至るまで、たくさんの恩人に支えられてきた。

 育ててくれた親、師匠におかみさんに先輩方、ご贔屓(ひいき)くださるお客様に仕事をお世話してくださる方々、家族。数え上げればきりがないが、中には、直接関わりはなくても人生に大きな影響を与えてくれた人、というのもいる。

 人によって、たとえばそれはたまたま読んだ本の著者であったり、観た映画の監督だったりするのかもしれない。

 私にもそういう人がいる。

 中学高校時代、私はいわゆるアニメオタクであった。

 今はアニメもだいぶ市民権を得てきたようで、明るく陽気なアニメオタクも多いが、当時はまさに石もて追われる迫害の対象、いや、世間の目にも映らない存在と言うべきか。

 プロフィールの趣味欄にでも書こうものなら、その累は一族郎党にまで及び、とてもその土地にいられなくなるような、人目をはばかってコソコソと嗜むものであった。

 そういえば先日久しぶりに前を通った池袋のアニ●イト、いつの間にあんなに大きく華やかなビルになったのだ。あの頃は隠れキリシタンの教会みたいだったのに。ちょっと! ここは若い女子がそんなに堂々と来るようなところじゃないぞ!

 YouTubeもサブスクもない時代(あったら大変なことになっていたに違いない)、アニメのDVD……いや当時はVHSか、を買うのにも限界があった。

 自分でテープ節約のために3倍モード(このエッセイっていくつくらいの人が読んでるの? だいたい皆さんわかるかな。2時間のビデオテープに画質を落として6時間録画できるモードがあったのだ)に録画して、あとはハマっていたのが深夜ラジオであった。

 多くの声優さんやアニメ関係者がラジオのパーソナリティーをされていて、それは主に深夜に放送されていた。私の身長が伸びなかったのはあれが原因だな。

 片っ端から聞きまくる中、当時から現代にいたるまで女王のようにラジオ界に君臨されていたのが、人気声優の林原めぐみさんだった。

 当然林原さんの番組は毎週チェックしていたのだが、そこで出会ったのが『佐竹雅昭(さたけまさあき)の覇王塾』という番組。

 のちに『佐竹・林原の無法塾』と改称されるが、当初は林原さんの名前は冠されておらず、アシスタントという扱いであった。