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〈書評〉 名探偵 円朝 明治の地獄とマイナイソース (愛川晶 著)

「芸人本書く派列伝 オルタナティブ」 第6回

〈書評〉 名探偵 円朝 明治の地獄とマイナイソース (愛川晶 著)
杉江 松恋

執筆者

杉江 松恋

執筆者プロフィール

落語中興の祖・円朝が探偵に? 明治グルメの謎を追うミステリー

 今回は趣向を変えて落語小説、ミステリー作品をご紹介する。

 愛川晶『名探偵円朝 明治の地獄とマイナイソース』(中央公論新社)である。

 愛川は1994年に『化身』(創元推理文庫)で第5回鮎川哲也賞を受賞してデビューを果たしたミステリー作家だが、当代随一の落語小説の書き手でもある。後述するように複数のシリーズが著書にはあるが、近作の『モウ半分、クダサイ』(中央公論新社)では落語小説といえば人情ものという既成概念を壊すべく、エログロ趣味と尾を引く後味を醸し出すことに挑戦した。題名が「もう半分」から採られている段階で内容はお察しいただきたい。

『名探偵円朝』は、作者が得意とする落語ミステリーである。語り手の加藤正太郎は牛込神楽坂の西洋料理店・西寅軒で働いている、駆け出しの料理人だ。ある日彼は、内藤新宿の出淵次郎吉というお宅を訪ねるように命じられる。そのお内儀であるお幸さんに、マイナイソースの作り方を教えてもらいたいというのである。マイナイソースとは現在で言うマヨネーズソースのことだ。

 出淵次郎吉という名前を見ただけでピンとくる読者は、かなりの落語ファンであろう。これは初代三遊亭円朝の本名だ。1839年生まれの落語中興の祖、近世から近代のつなぎ目で活躍し、ジャンルの社会的地位を向上させることに大いに貢献したほか、口語文芸が発達するきっかけの一つを作った人でもある。

 その円朝がどのような落語家だったかという知識がふんだんに盛り込まれた小説であり、全三篇には彼の私生活に関する事柄や一門に関する知識なども織り込まれており、ちょっとした円朝入門にもなる。

 もちろん小説だから史実そのままではなくて作り事なのだが、虚実の配合具合が絶妙なのである。円朝が探偵としての優れた能力を持っていた、というのは創作だとわかるだろうが、他にもある。たとえば、主人公の加藤正太郎は、父親が早逝したという設定になっている。その父は、ぽこ太という名前を貰った落語家で円朝門下だった。つまり正太郎は、実父の師匠宅を知らないうちに訪れていたことになるのである。

 この三遊亭ぽこ太は実在しないが、モデルになった落語家はいる。円朝門下の三遊亭ぽん太である。

 永井啓夫の詳細な伝記『新版三遊亭円朝』(青蛙房)からの引用になるが、ぽん太の入門は安政から慶應にかけての幕末期、まだ二十代後半だった円朝が売り出したころだという。元は円朝出入りの髪結いの下剃りで名前を勝公(『古今東西落語家事典』によれば本名・加藤勝五郎)、愛称をぽん太といった。愚直ながらも愛嬌のある性格を愛されたというが、師匠よりも早く1881年に亡くなっている。