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流麗にして弁舌 一龍斎貞鏡 (前編)
「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第1回
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高座に育児に八面六臂の活躍
一時期、絶滅危惧種とまで言われるも、現在、東西合わせて120名を超えるまでになった講釈師。江戸から明治、大正、昭和と、主に男性が読み継いできた芸であったが、平成、令和と時代を経て、女性目線による女性の講談が世に送り出されてきた。その時、講釈師は何を考え、何を読んできたのか。第一線で活躍する女性講釈師に尋ねてみた。(一龍斎貞鏡先生の前編/中編/後編のうちの前編)
講釈師を志したきっかけ
父は八代目一龍斎貞山、祖父に七代目貞山を持つ、一龍斎貞鏡。その読み口は流麗にして弁舌。綺麗な日本語に形の良い高座に人気が集まる。今は5人の子どもを持つ母親として、高座に育児にと八面六臂の活躍を見せている。貞鏡が考える講談像と、これからの高座について尋ねてみた。
――講釈師になろうと思ったきっかけを教えてください。
貞鏡 国立演芸場で初めて父の怪談を聴いた日でした。その日に、「私は絶対に父ちゃんの跡継ぎになる!」と決めて、でも自分だけで決められるものではないので、父に打診したんですけど、「ダメだ」ってずっと言われ続けて。回数で言えば100回以上は断られました。顔を合わせるたびに「やりたいんだけど、どうやったらなれるの?」って聞いて、「ダメだ、ダメだ」って言われ続けて。ずっとです。
それから一年半後、忘れはしません、平成19年の12月に「着物に着替えろ」って言われて連れて行かれたのが、(一龍斎)貞水先生のご自宅で、「こいつ、こういう娘なんだけど、弟子になりたいって言ってるんですが、いいですか」。
貞水先生は「それはもちろんだ」って。「ついては七代目の貞山が名乗っていた貞鏡という名前を名乗らせたいんですけどいいですか?」「もちろんだ」と仰っていただいて、「ありがとうございます」というのが、赤穂義士の討ち入りの後で、その10日後位の12月28日の張り扇供養の日から修業が始まりました。
――他の先生のところに行く気持ちはなかったんですか。
貞鏡 ありません。考えたこともなかったですし、講談界のことがわからなかったというのが一番ですね。