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青春の終わりに入門。青春の始まりの入門 (前編)

鈴々舎馬風一門 入門物語

漫才師になるべきだ!!

 拙、幼少期の東京城西地域、中井では、墨田区など城東地域ほどではないにせよ、まだまだ世間の言い回しでは東京弁としての熊の皮……「あすこンちは熊の皮だよ」などという言葉も街に残されておりました(新聞の三面見出しに「時そば詐欺師」なんというものもありました)。東京の庶民の生活に落語が溶け込んでいた幸福なる時代でした(これは噺家となって以来、地域差、自治体による連動の格差を痛感しております)。

 特段に噺家になろうなどと少年期には思わず、せいぜいが同級生と映画の代わりに新宿末廣亭に行ってみる。日本青年館のTV番組の収録の『初笑いうるとら寄席』にやはり友人と連れ立って行ってみる――やたらめったら笑う客として行ってみる――程度の趣味として中学生までは過ごしておりました。しかしこけしかかし。

 高校1年時の授業中に繰り返して読み耽ってをりました閃きにより、人生動くことゝなりました。これだ! 自身を発揮できる商売は漫才師だ!!

 当時の漫才ブームによって世に出ることとなった十代の少年の知力に衝いた、青春の叫び本、当時24歳の漫才師の先生が、後年、自身で本当に記された!と告白されていた本により、最初は漫才師になるべき!!と思ってしまいました。

 落語研究会出身の皆様が崇める落語全集ではなく、また当時、拙は『風姿花伝』の落語家版『噺鹿家伝』は存在すら知りませんでした。

 漫才師を志し、円満に倶楽部活動のバレー部を退部するため、1年丁度の退学を決めましたが、これは本当に国語の成績が優良だったため、進級を熱心に勧めてくださった担任の先生と、烈火の如く忿怒の形相の父親の反対を押し切らずに躱して、学校を中退いたしました。