鈴之助の弟子入り志願物語 (後編)
鈴々舎馬風一門 入門物語
- 落語

雑誌で特集された前座時代の筆者 その2(当時23歳)
コンビ名が決まっても、笑いは決まらなかった
フジテレビの中で仕事をして、いろんな芸人さんやタレントさんに間近で接しながら、「夢の実現へ着実に進んでいるなぁ」と微笑んでいました。ここまでは順調でした。何の情報もコネも得られずに大道具の仕事を辞めたけれど、なぜか妙な自信だけはありました。
そんなある日、ひょんなところから「ザ・ドリフターズの加藤茶さんが運転手兼付き人を募集しているらしい」と聞きます。「これだ!」と思い、すぐに履歴書を書いて応募しました。
採用面接の当日、赤坂の乃木坂近くにあるビルで、なぜか生まれて初めてカラスに襲われます。「嫌な予感がするなぁ」と思っていたら、その予感は的中。不採用でした。そりゃあ、田舎から出てきた若造なんだから、道も知らず、運転もままならない。落ちても当然です。
立ち止まって考えてみると、コネだとか付き人だとか、そういった手段で業界に食い込もうとすることばかりに気を取られて、自分自身のネタがないことに気づきました。
それならと、なんとか相方を見つけて漫才をしようと奔走します。
ようやく見つかった相方は、以前から「ツインターボ」というコンビ名を温めていたようでした。一方、私は特にこだわりがあったわけではないのですが、「109」というコンビ名がいいかなと思っていました。やがて、少し揉めたものの、最終的には相方に譲って「ツインターボ」が誕生します。
そして、渡辺プロダクションのお笑いオーディションを受けましたが、結果はさっぱり。互いのネタの方向性の違いから「ツインターボ」はほどなく解散してしまいます。
寄席で見つけた、もうひとつの人生
その後、相方を捜しながら、さまざまな芝居やライブを見に行く中で落語に出会いました。
私は学校寄席で「落語家」という存在自体は知っていたものの、正直、まったく興味はありませんでした。ある時、何かのきっかけで立川談志師匠の独演会を見に行きました。たしかに面白いと思いましたが、それ以上の感情が湧くことはありませんでした。
それでも、ひとりで客を笑わせる「落語」という世界も、案外悪くないと思うようになりました。そして運命だったのか、たまたま訪れた上野の鈴本演芸場で、自分が師と仰ぐことになる鈴々舎馬風に出会うのです。
初夏の鈴本演芸場の夜席。しかも寄席に足を運ぶのは初めてで、その重厚感に圧倒されていました。前座、二ツ目、真打、色物とどんどん進むうち、運命の師匠馬風が登場。
恥ずかしながら、私は『笑点』のこん平師匠、木久蔵(現・木久扇)師匠くらいしか知らず、落語のことも、師匠のこともまったく知りませんでした。しかし、うちの師匠が出囃子とともに登場した瞬間――言葉で表しきれない、魂が引き寄せられるような感覚を覚え、すぐに「この人の弟子になりたい」と強く思いました。
その日の高座では、師匠には珍しく古典落語の『大名道具』を演じていました。何も知らなかった私には、師匠が演じる姫君が本当に艶っぽく映り、思わず恋心を抱くほどでした。「嘘つけ!」とツッコまれそうですが、師匠の演じる女性には色気があったのです。
また師匠の瞳はとても綺麗で、人間のずるさや陰湿さといったものをまったく感じませんでした。