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伝説

三遊亭好二郎の「座布団の片隅から」 第5回

伝説

闇を煮詰めたような、真っ黒い蕎麦

三遊亭 好二郎

執筆者

三遊亭 好二郎

執筆者プロフィール

東京の片隅に佇む、謎の蕎麦屋

 信じられないお店に入ったことはあるだろうか?

 私はある。名前は伏せるが、足立区某所にある“X”というカルト蕎麦屋だ。私が東京に来て初めて蕎麦を食べた思い出の味。

 この店には、いつも客がいない。何度も通ったが、常にもぬけの殻である。しかし、近所の人に聞くと、随分と古くからある店なのだという。なぜ客がいなくても経営が成り立つのだろうか。噺家ならとっくに廃業しているぐらい、人気がない。

 足立区の方の噂では、「あそこは土地持ちの人が片手間でやっている」「株で大儲けしている」「何かしらの利権を持っている」ということらしい。都市伝説的な店である。初めてその店に入った時の衝撃は、今でも忘れない。

 2016年(平成28年)、当時の私は入門のために九州を飛び出して、師匠と同じ足立区に住み始めた。上京する時に、周りから散々言われたことがある。「東京の蕎麦は、真っ黒で食えたもんじゃないぞ」と。

 今から考えれば、大袈裟に言われただけだった。東京の蕎麦は美味しい。だが当時は体験したことのない未知の味だった。関西は基本的に薄口醤油で仕上げるため、だしの色が薄い。一方、関東は濃口醤油を使うため、だしが黒くなる。

 「東京に来たら、まず黒いだしの蕎麦を食べてよう」と心に決めていた。落語にも蕎麦の出てくる噺が数多くある。まず関東の蕎麦の味を知らなければならない。

 ところが、うちの近所には蕎麦屋が一軒しかなかった。前座修行の4年間の間に休みはない。自由な時間もほとんどない。わずかに空いた隙間時間で行ける近所の蕎麦屋に入ってみることにした。

 その店がXだったのである。それが全ての始まりであった。