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伝統を纏い、革新を語る 神田陽子(後編)
「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」第13回
- 講談

真打昇進披露の口上にて。昭和63年、師匠・山陽と(神田陽子・提供)
一時期、絶滅危惧種とまで言われるも、現在、東西合わせて120名を超えるまでになった講釈師。江戸から明治、大正、昭和と、主に男性が読み継いできた芸であったが、平成、令和と時代を経て、女性目線による女性の講談が世に送り出されてきた。その時、講釈師は何を考え、何を読んできたのか。第一線で活躍する女性講釈師に尋ねてみた。(神田陽子先生の前編/中編/後編のうちの後編)
54歳での大学挑戦
「温故知新」という言葉があるが、神田陽子はこれまでの活動を活かして、今も動き続けている。それは以下の項で口にする「山陽イズム」を確かな形で継承しているからであろう。結婚生活、大学生活を経て、これからの講談に対して何を思うのかを最後に尋ねてみた。
――3年前には「コテコン」の復活もありました。
陽子 「コテコン」ね……。面白かったんだけど、みんな年を取っちゃったんで、続けるのは無理だから、4年に1回くらい、オリンピックの時にやろうかって。琴調先生も講談協会の会長に就任されて活き活きしていて良かったです。もっと早くに会長になられて、講談界を盛り上げてもらっても良かったですよね。
――あの……、結婚していた時代のことに触れてもいいんですか。
陽子 いいですよ。結局、みんなが思っていた通りでした。気持ちが盛り上がっていたんです。あとでみんなに言われました。「あの時はおかしくなっていた」って。でも母がまだ元気だったんで、花嫁衣裳を見せられたのは良かったなと思います。昨年(2024年)、友達がカナダで結婚したんです。その友達を見ていて、結婚とかではなくて、前向きになれるパートナーとお喋りできたりするのはいいなあと思いました。
この年になると、同窓会が増えるんですよ。この間も中学の時の集まりがあって、初恋の男性と会ったんですが、あの頃はひと言も口が利けなかったのに、年を取ると喋れるんですよ。どこかに出掛けたり、食事に行ったり。だから年取るのもいいなあって。以上です(笑)。
――年齢のことを言うのは失礼かも知れませんが、54歳―実は私が今54歳なのですが、先生はその歳に大学に進学されました。生涯教育の時代とされますが、大学に行こうと思った理由はなんですか。
陽子 母親が亡くなって、住んでいた家が売れたんです。そのままにしておくと、使ってなくなっちゃうから勉強しようって思ったんです。それまでにも客員教授として講談を教えていたんですが、大学でどんな勉強をしているのか知りたくて、通信教育で勉強できる大学を探したところ、早稲田が充実していたので、54歳の時に人間科学部というところに入学したんです。
私は早稲田大学に縁があるんです。真打に昇進した時の口上書は暉峻康隆(てるおかやすたか、早稲田大学名誉教授・国文学者)先生にお願いして、NHKの「お達者くらぶ」で4年もアシスタントをさせていただいたんです。そこでの話術がまた勉強になりましたし、例えば『赤垣源蔵(あかがきげんぞう)』はこういう人だよと手紙を下さったり、いい先生でした。卒論は「講談熟達者と初学者の音声の比較」で、先ほど話した通りのことを書きました。