噺家が伝えたい福祉のこと。成年後見制度は「誰かの話」じゃない

「噺家渡世の余生な噺」 第7回

噺家が伝えたい福祉のこと。成年後見制度は「誰かの話」じゃない

笑いと福祉は似ている。どちらも人の弱さを支えるもの

柳家 小志ん

執筆者

柳家 小志ん

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噺家が語る「老い」の舞台裏

 私は噺家だ。口演で客を笑わせ、泣かせ、しばし世間の煩わしさを忘れさせることが仕事だ。

 だが、そんな私も、かつて医療・介護の現場にいた。福祉の制度と現場の矛盾を見てきたし、それで心が折れた仲間も知っている。

 講演に呼ばれ、「笑いと健康」について話してほしいと依頼されることがある。しかし、いざ介護保険制度の話に踏み込むと、時として会場の空気が一変する瞬間がある。

 その空気をほぐし、楽しい噺へと変えること。それこそが、私の使命であり、得意とする芸なのだ。

 「噺家が制度の話なんかするな」――そういう人もいる。私は思う。老いとは、誰にとっても舞台裏の話だ。笑いだけじゃ、老いは支えられない。制度という台本を袖に用意しておくことも、舞台人の心得なのだ。

 福祉や医療に関する講演というのは、どうにも照れくさい。私は、その場しのぎで制度をかじった噺家でもなければ、制度に明るい専門家が落語を披露しているわけでもない。落語も制度も、どちらも本職として関わってきた人間だ。だからこそ、「講演のために少し勉強した」という顔ぶれと同列に思われるのは、どこか落ち着かない。

 もちろん、講演も高座も、生活のためであることに違いはない。ただ、それだけでは終わらせたくない。せめて来場者が楽しく笑いながら、ひとつでも知識を持ち帰ってくれるなら、主催者の思いにも応えられるというものだ。

 今はもう割り切って、現場で見聞きしてきた実情を土台に、少しずつ中身を磨き直している。構成力は、私の武器だ。講演もまた、一席の高座として楽しんでいる。

老いを制度で支える時代に

 2000年。介護保険制度が導入され、日本の福祉は劇的に変わった。それまでは行政が『措置』としてサービスを与え、利用者は受け身だった。

 しかし、制度改革により、「選び」「契約し」「支払う」――まるでビジネスのような自立支援社会がスタートした。美辞麗句に聞こえるが、当然ながら『契約する力』が必要になる。契約は、意思と責任がセットだ。つまり、判断能力がなければ、利用者としてのスタートラインにも立てない。

 では、認知症を患った高齢者は、どうすればよいのか。どんなに誠実であっても、どんなに善意があっても、「判断力がない」とされた瞬間、社会的には『無力』と見なされてしまう。

 その不条理を埋めるために生まれたのが、「成年後見制度」だった。