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時には豆腐のように

「マクラになるかも知れない話」 第五回

湯豆腐は誰のものか

 さ、幼少期の自分に現実を突きつけたところで――。

 私は湯豆腐は好きだ。しかし湯豆腐には、なかなか会えない。恋みたいだ。

 なぜ湯豆腐に会えないのか?

 我々噺家は、お酒を呑む機会が多い。打ち上げだ何だと、理由をつけては居酒屋へ向かって歩き出す。

 そして我々には、鉄の掟がある。香盤だ。この世界は入門した順で上下関係が確定する。先輩の言うことは絶対である。ある先輩は「この世界は入門が一日違えば、殿様と乞食の差ができる」と教わったそうだ。

 そんな鉄の掟があるので基本的に飲み会となると、先輩ひとりがほかの後輩全員の飲み代を持つ。状況にもよるが基本的にはそうなっているのだ。

 そこで、である。そりゃあ、私にも幾人かの後輩がいる。たまには、じゃあ飲みに行こうかということになる。居酒屋に入って腰を落ち着け、一杯目の酒を頼み、今夜の肴の品定めをする。壁には古ぼけた品書き。

 その中に一枚だけ、新しい紙に墨黒々とこう書かれている。


 冬季限定!お鍋メニュー! 二人前から

 キムチ鍋 900円
 寄せ鍋 900円
 もつ鍋 1200円
 牡蠣鍋 1700円
 湯豆腐 680円


 これではっ……! さすがにこれではっ……! たのめないっ……!!

 ここで「うーん……じゃあ、湯豆腐三人前」なんて言ったが最後である。翌日からこの世界に私の居場所はなくなる。

 「湯豆腐とて、身銭を切ってごちそうしてくださったのだ。なんとありがたいことだろう」

 そういう風に考える後輩は、ひとりもいない。ほんの一瞬、「湯豆腐……? おやおや……」というような表情を浮かべ、それを直ぐさまかき消して、「湯豆腐! よお! オツですねえ!」とか言い出して、そして私がお手洗いへ立つたびに罵詈雑言の嵐だ。

 じゃあ、先輩に連れて行ってもらったときにお願いして食べればいいじゃないかと思ったそこのあなた。一度、前座修行をするべきです。

 上記のメニューから、後輩に「うんと……。湯豆腐いいっすか?」なんて聞かれた日には、『仕事がない』と思われていること確定である。売れない先輩として扱われ、気を遣われているのである。そんな悲しいことはない。お手洗いでこっそり泣いてしまう。テーブルでは罵詈雑言の嵐だ。

 この辺の葛藤により、結局キムチ鍋か寄せ鍋になる。

 じゃあもうウチで作れよと。そこまで食べたいなら自分で拵えなさいよと。そら、そう思われるのが自然であろう。しかし皆さん。私は自宅で湯豆腐を拵えたことがありますよ、という皆さん。

 それは本当に湯豆腐でしたか?