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日常を鮮やかに描く言葉の力 神田茜(後編)

「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第23回

「自由」という境地へ

 神田茜がこれまでに出した書は12冊。『きいてよ。』(97年・情報センター出版局)、『フェロモン』(07年・ポプラ社)、『女子芸人』(11年・新潮社)、『好きなひと』(13年・ポプラ社)、『ふたり』(13年・新潮社)、『ぼくの守る星』(14年・集英社)、『しょっぱい夕陽』(14年・講談社)、『七色結び』(18年・光文社)、『一生に一度のこの恋にタネも仕掛けもございません。』(18年・新潮文庫nex)、『母のあしおと』(18年・集英社)、『シャドウ』(19年・小学館文庫)、『下北沢であの日の君と待ち合わせ』(21年・光文社)がある。

 そしてその他に、女性小説家のオムニバス集『ピュアフル・アンソロジー 手紙。』、アンソロジーとして『あなたとなら食べてもいい』がある。

 2010年には『女子芸人』で第6回新潮エンターテインメント大賞を受賞しており、次作を楽しみにしつつ、最後のこれからの講談界で神田茜がどこを攻めていくのかを尋ねてみた。

―― 今年はご病気をされて休まれた期間がありました。

 乳ガンのステージIで、検診で見つかったんです。早く発見できたのが良かったんです。

―― 不躾な質問かも知れませんが、大病をして何か考えが変わったりしましたか。

 初めてガンになって、自分の命の期限を考えさせられました。他の芸人さんより、自分は人生が短くなるかもしれないと。そして、あと10年だったとしたら、その間に何をやろうか。満足して旅立てるのか。ギリギリまで高座に上がりたいなと強く思うようになりました。

 一旦、引退も考えました。北海道に帰っちゃおうかなって、そんなこともです。でも何もない暮らしは私には我慢できないだろうな、お客さんの前でお客さんに笑ってもらうことは、ものすごく幸せなことなんだと考えるようになりました。月に一回の高座であっても、大切にしなければならないと、色々と考えさせられました。

―― それには年齢的なものもありますか。

 60歳になって、そんなに欲がなくなってきたんです。若い人と張り合おうとか、古典と張り合おうとかなくなってきて、自由になりました。気にしていた滑舌も自由になったんです。

―― 滑舌が自由になったというのは、どういうことでしょうか。

 自分の言いたいことが言えるようになってきたと言えば良いでしょうか。不思議なんですが、高座に上がると、今、自由なんです。その自由を説明するのは難しい……。でも自由で、最近は楽しいんですよ。この間、末廣亭でウケなかった時は辛かったですけど(笑)