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2026年1月のつれづれ(追悼 名人・伊丹秀敏)

月刊「浪曲つれづれ」 第9回

2026年1月のつれづれ(追悼 名人・伊丹秀敏)

伊丹秀敏 近影(日本浪曲協会HPより)

杉江 松恋

執筆者

杉江 松恋

執筆者プロフィール

浪曲の申し子・伊丹秀敏の90年

 神様はよほど、浪曲三味線がお好きだとみえる。

 新年早々、悲しい話題で恐縮である。昨年、東西の浪曲界には、曲師の訃報が相次いだ。まず3月21日に関西で京山幸枝若の相三味線であった一風亭初月が急逝、次いで6月18日には関東浪曲界の至宝・沢村豊子までもが亡くなってしまったのである。

 さらに年の瀬、日本浪曲協会から信じがたいことが告知された。12月24日、名人・伊丹秀敏こと、本名・浜本常敏が誤嚥性肺炎のために逝去したという。奇しくも2015年に亡くなった国本武春と同じ命日、享年90であった。伊丹秀敏といえば、曲師として唯一無二の腕前があるだけではなく、浪曲師・浜乃一舟としても舞台に立ち、その美声で観客を唸らせるという、他にない存在感の持ち主であった。浪曲の申し子としても、過言ではないだろう。

 その技量は折り紙つきで、若いうちから頭角を現し、松平国十郎を浪曲大会で弾いたのを手始めに、並みいる名人たちの曲師をことごとく務めている。日本浪曲協会会長経験者でいえば、故・二代目東家浦太郎、五代目東家三楽の相三味線でもあった。

 芝清之編『東西浪曲大名鑑』の伊丹秀敏の項を一部紹介する。

――佐賀県杵島郡北方の出身。父親は炭鉱に勤務、12人兄弟の次男。彼の兄秀夫は12歳の時から伊丹秀子の門下となり浪曲家になっていたので、常敏も9歳から兄に連れられて伊丹の所に出入りするうち節が好きになり、この道で身を立てようと伊丹一門に正式に弟子入りした訳ではないが、兄の関係で名前弟子となった。

――13歳のとき天中軒小雲月の一座に入り、九州の黒崎劇場で初舞台を踏み、「ねずみ小僧」を読んだ。芸名は伊丹秀子の許しを受け“伊丹秀敏”と名乗った。「煙草の吸がら」「三日の娑婆」「陸奥違い」「出世の草鞋」などを得意として18年間、節を語っていたが、浪曲を語るよりも三味線に興味を持ちだし、兄の秀夫から手ほどきを受けて曲師に転向した。