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昭和101年に寄せて ~落語は新しい!!

月刊「シン・道楽亭コラム」 第9回

昭和101年に寄せて ~落語は新しい!!

画:とつかりょうこ

シン・道楽亭

執筆者

シン・道楽亭

執筆者プロフィール

今も生き生きと息づいている落語

 令和8年が明けました。昨年は、昭和100年。昭和の真ん中ごろに生まれた私、共同席亭の服部にとって、令和の感覚に自分を合わせていくのは、なかなか骨が折れる日々です。

 パソコンは使えますが、いじれる程度。iPhoneおよびiPad所持者ですが、その機能の10%くらいしか使いこなしていない気がします。世界の変革者ヅラしているAIは、ほぼ理解不能です。便利すぎるのは、むしろ不便だと感じる人間の一人、それが私です。

 進み過ぎることに喜ぶ人もいれば、私のように辛さを感じる人もいると思います。昨今、若者の間で昭和レトロ・平成レトロがちょっとしたブームになりましたね。これ、やたらバージョンアップを強いられる中での、ささやかな抵抗の本能・抵抗の姿勢ではないかと、私は受け止めます。

 時代に乗りたい人と乗りたくない人、時代からこぼれ落ちる人と振り落とされる人、時代に乗れる芸能と置いていかれる芸能……、残酷な取捨選択をその都度行っていくのが時代、というものかもしれません。

 昭和40年(1965年)、落語が時代や大衆に見放されることを憂い、落語の存在そのものに匕首(あいくち)を突きつけ、先行きの危機感を言語化したのは「伝統を現代に」とうたった立川談志師匠でした。『現代落語論』(三一書房)で、「落語は大衆のものか」と疑問を投げかけ、落語家自身が「器用に使い分けて生き抜け」ないと「落語は能と同じ道をたどる」と予言しました。

 ある友人は「この本があったから、“能化”が防げた」と言いました。それから61年後の今、落語は“能化”しているでしょうか?

 能、いや、No!です。「防げた」どころか、実に今、落語は生き生きと息づいていませんか。大勢のタイプも趣向も違う落語家によって、賑やかに落語は生きながらえています。現在活躍している方の何人かをご紹介してみます。

 まずは談志spiritを継承している、孫弟子の真打目前三人衆。家元から「怒り」を取り除き、家元の根っこの持ち味「温かさ」「おかしさ」をより深く体現している方々です。

 立川寸志さん、江戸文化に関する書肆(しょし)研究面でもご活躍で、落語に出てくる場所や言葉について豊かな蘊蓄(うんちく)をお持ちです。それらをマクラに用いるなどして、古いはずの落語をより身近なもの・現代人にもわかりやすいものにしています。

 3月に立川談寛師匠となる談吉さん、謡い調子から噺の内容まで、家元の説いたイリュージョン落語を理想的に具現化しています。

 立川笑二さん、古典の本寸法を自在に工夫改作し、皮肉をまぶしつつ、人間の怖さと優しさを絶妙なバランスで表現します。