21900のいただきます

シリーズ「思い出の味」 第1回

21900のいただきます

今も思い出す、懐かしい料理の味と、かけがえのない時間の記憶

三遊亭 司

執筆者

三遊亭 司

執筆者プロフィール

24年前の朝

 オヤジさん。いつのころからか、師匠三遊亭歌司のことをそう呼ぶようになった。

 盆暮れの挨拶やお中元、お歳暮に限らず、お礼やお詫びにわたしたち落語家は身体を運ぶ。礼状を送ることはあっても、盆暮れの挨拶は師匠や先輩方、客先に「お世話になりました」と、心ばかりの進物を持参する。わたしの家に出入りする後輩たちも例外ではなく、みなそうだ。

 その年の暮れの挨拶も、そういうわけで師匠が在宅であろう日時を見計らい訪問すると、案の定師匠は家にいて、めずらしく台所に立っていた。

 「お前は間がいいなぁ、いまちょうど牡蠣鍋ができるとこ。見てたみてぇだな」
 と、缶ビールを渡される。これでも飲んで待っていろということなので、プシュっとやって「いただきます」と。

 そう時間がかからず出された牡蠣鍋は、味噌仕立てだった。「喰え」に、「いただきます」と箸を伸ばして、はふはふといただく。
 「旨いですね。しかし、20年以上いてオヤジさんの手料理ははじめてじゃないですか」
 「なに言ってンだよ。俺んとこきて寄席の初日の翌朝、トースト焼いてやったじゃねぇか」

 そうだった、確かに24年前にそんな朝があった。出戻り前座として寄席に入った初日。一門の三遊亭若圓歌師がトリの興行だったため、師匠歌司も顔付されており、打ち上げから、二軒目は師匠宅近所の行きつけの焼鳥屋へ。そう遅い時間ではなかったが「泊まれ」となり、翌朝顔をあたって居間に行くと、出してくれたのが、師匠手ずから焼いた食パンのトースト。

 そのころはオヤジさんだなんてとんでもない、師匠と呼ぶことすらぎこちなかった。いま思えば、あの「泊まれ」と翌朝のトーストは、師匠なりに距離を詰めようとしてくれたのだと、想像するに難くない。あれから四半世紀近く経ち、ひとつ鍋のものを遠慮せず、他愛もないはなしをしながらつつくぐらいの間柄、オヤジさんと弟子になっていた。