21900のいただきます

シリーズ「思い出の味」 第1回

食卓を囲めば家族

 わたしたち一門の人間にとっては、三代目三木助夫人であるおかみさんでも、四代目にとってはおかあさん。もちろん、わたしにも母親がいて、五十を前にしたわたしが言うのもなんだが、母はなかなか料理上手だ。それ以上に祖母も大変料理が上手かった。いま考えれば、わたしの料理好きは祖母と母、田端での修行時代に由来するのだと思う。

 母や祖母につきまとってお勝手にいたせいか、ひとりいる妹よりも、母や祖母のその味はわたしのなかにあるものが多い。わたしの知らない若き日の祖母は、近所の惣菜屋に料理をおろすほどだったらしく、また、母の実家は富山の薬売りで、ほうぼうを廻り薬代をいただき、薬をまた補充する売薬さんが薬を仕込んで泊まっていくうちだった。なので祖母もまた、家族ではない誰かに食事を出していた。その点、落語家の家と似ているからおもしろい。

 そんな祖母の料理などと言うと、甘美なる家庭料理。台所からただよう夕暮れ時分の惣菜などを頭に浮かべるかもしれないが、祖母はインド料理やブラジル料理など、その時の興味と気分でなんでもつくっていた。足が悪く自分で外出できない祖母は、いつも誰かに頼む買物メモを書き溜めていた。

 だから、わたしは自分で自分の料理を食べながらも、そこにはいつも四代目三木助がいて、祖母がいて、母がいる。齢四十五。鯨飲馬食とは言わないが、好きなものを好きなように飲んだり食べたりできるのは三十年だとすると、1万950日。一日二食食べても、2万1900食という計算になる。これが多いのか、少ないのか、いざ数字にするとかえってわからなくなる。

 その一食一食をひとりで食べたり、誰かと食べたり、それは落語会の打ち上げだったり、稽古のあとに声をかけていただいた蕎麦屋だったり。そうやって、いつしか落語を真ん中にして、知らぬ同志が家族のようなものになっていく。

(了)