紀尾井町の占い師 (後編)
神田伊織の「二ツ目こなたかなた」 第2回
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夜道の予言
占い師と一緒に、紀尾井ホールをあとにする。外はもうすっかり暗くなっている。ソフィア通りを四ツ谷駅へと向かう。
「今度さ、エッセイを連載することになって、初回に今日の出来事でも書こうと思うんだけど、そこに登場させてもいい?」
そう尋ねると、占い師は快く承諾してくれて、少し黙ってからヴィジョンを語りはじめた。世界は今年よりも来年の方が激動するのだという。
「ほら、二〇二六年は丙午だから」
「はあ」
世界人類のことよりも自分のことで手いっぱいなので、個人的な運勢について尋ねた。体調に気をつけるように言われた。
「今年の八月か九月に、右の脇腹に異変があるかもしれない。しくしく痛んで押さえている姿が見える」
人の心は実にもろい。軽い気持ちで質問したのに、ほんの一言二言で、急にぐらついて不安になる。しかし、数か月後のことだから、予言の正否はすぐわかる。そう考えると、答え合わせが楽しみでもある。
「未来ってひとつじゃなくて、たくさんの未来が同時にあるんだよ。だから気をつければ別の未来に変わる。あたって欲しくないと思ってるよ。夏の終わりの食事に気をつければ健康でいられるよ」
さすがは売れっ子占い師で、予言がはずれても何のリスクもなさそうだった。
明るい展望も告げられた。年末に名誉ある大きなイベントの出演者に選ばれると言われた。こういう未来は、先のこととして見えるのではなく、過去の記憶を思い出すようにして見るのだと、占いのコツまで教えてもらった。
「あっ、新しい着物を着てるね。その色がこれからテーマ色になるかな。帯と合わせると明るい感じでパーンと映えるよ」
「えっ、何色?」
「バーガンディ」
知らない単語が出てきてスマホで調べると、つい最近、新調したばかりの着物の色とまさに同じだった。またも目くるめく思いがした。こうやって驚かせるのが、この男の売れっ子たるゆえんなのだった。その着物は、一度着て、色が似合わないように思っていたが、こんなふうに言われると、着なければいけない気がしてきた。
やがて占い師はこう言った。
「これは願望かもしれないけど、さっき舞台を見てたら、いつか一緒にああいうところに立って話してる感じがしたよ。お互いに全然違う道で頑張ってさ、それぞれ活躍したら、一緒に呼んでもらって舞台で話せる日も来るんじゃないかな」
楽しい空想だった。占い師と講談師を一緒に呼んでイベントを企画しようという酔狂な主催者がいるとは考えにくい。それでもヴィジョンが見えると言われると、その言葉からぼんやりとそういう光景が現れて心が躍る。
考えてみれば、講談師は過去の物語を語る仕事で、占い師は未来の物語を語る仕事だから、似た者同士なのかもしれなかった。
虚構を語る言葉には、実に不思議な力があって、人の心に大きな作用をもたらす。狙い通りの働きもあれば、思わぬ結果を招くこともある。傷つけることも、幸福をもたらすこともある。死者を慰め、生者を救う。恐ろしくもあり、誇らしくもある。
通り沿いの木々の景色は、行きで見たときとはまるで違った。夜空に浮かぶ新緑は、目に青葉とはおよそ言えないが、これはこれでこの季節だけの美しさだった。
用はなくても、もうしばらく歩いていたかった。
(毎月26日・27日頃、掲載予定)
―― 前編はこちら 『紀尾井町の占い師(前編)』