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はじまりはいもや
シリーズ「思い出の味」 第2回
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天婦羅番を任される
ファーストインパクトから数年、就職活動しそこなって迎えた宙ぶらりんのフリーター時代、何をするにもまずお金が要ると思い、昼夜で別のバイトをするという守銭奴暮らし。
その時、夜のバイトで選んだのは、駅ビルの五階にあった蕎麦屋だった。ホール採用だったのに厨房の人が辞めたとのことで、一週間後なぜか調理場に。
乱暴だなあ、もう! しかも任されたのが天婦羅番。
おや? 何か運命めいたものを感じますねえ。
社員さんのマンツーマン指導で実技を勉強。今の店は大体、フライヤーで揚げ物をするが、あの時、お店はまだ天婦羅鍋を使っていたので『いもや』のイメージははっきりと残っていた。
箸の先に天粉を付けて鍋に振る。天粉の雫が油に触れた時の音と鍋底から表面まで浮いてくる速さで温度を見極めて天種を放り込む。
蕎麦屋の花形は、やっぱりエビ。「花を咲かす」と言うが、エビ天に綺麗に散った揚げ玉を寄せてくっ付け、大きく見せる技がある。此処は『いもや』ではなかった部分。種物から出る気泡が初めより大きく、また少なくなった時が上げ時。エビのしっぽを箸で摘まんで、しならなければOK。
面白かったのは、油の温度も大事だけれど天粉の固さ。薄すぎると散らばっちゃうし、固すぎるとボテッとお好み焼きみたいな衣になっちゃう。その間を取るのだが、それこそ水を5㏄、10ccの差でも天粉の質がまったく変わる。不思議だよね、僅かな量なのに。揚がり方が全然変わっちゃうんだもん。
そんな毎日を送っていたら受験資格を満たし、調理師試験受かりました。天婦羅で取った様なもんだね。
じゃあ、それが何の役に立ってるかって?
そりゃあ大変なものですよ!
毎年、大晦日は揚げたての天婦羅で年越し蕎麦を食べてます。健康診断が心配になる量。家族の胃の中が油まみれ。
カウンター越しに見ていた職人さんの仕事が間接的に生きて免許も取れて、まさに「芸を盗む」というのは落語にも通じていて、するってぇと人生に無駄はない。
(了)