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流麗にして弁舌 一龍斎貞鏡 (前編)

「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第1回

背中を見て覚えろ

 話に出る一龍斎貞水(1939年~2020年)は講談界初の人間国宝で、講談協会の会長を長く務め、後進の育成にも力を注いだ。その講談界の一年納めの行事として開かれるのが「張り扇供養」であり、今は「講談発祥の地碑」が建つ東日本橋の薬研堀不動院で、毎年12月28日に開かれている。

 また、『牡丹燈記』は三遊亭圓朝による『怪談牡丹燈籠』の原話にあたる作品で、中国は明代に編まれた怪異小説集『剪灯新話』の一節である。元といった時代の中国に喬生(きょうせい)という青年がおり、ある夜、牡丹花の燈籠を提げた女中を連れた美女麗郷(れいきょう)と出会う。ところがその女性は……という、八代目貞山の十八番の一席である。

――師匠の思い出はありますか?

貞鏡 まず怒らなかったということです。細かくも言われませんでした。叱ることはあっても、自分の機嫌が悪いから、虫の居所が悪いからといって、弟子にあたるということは一切ありませんでした。

 一度、貞水先生のカバンをフェリーの中に置き忘れてしまったことがあって、死ぬかと思ったんですが、帰ってきてそのことを報告した時も、師匠からすれば顔面蒼白ですよね。でも「やっちまったことは仕方がねぇな。しょうがねぇな、俺が詫びに行って謝ろう」って。その時も「バカやろう!」とかそういうのは一切なくて、ひと言「今後、気を付けろよ。じゃあ何か食いに行くか」。

――あとに引きずらない人だったんですね。

貞鏡 全くそうですね。クドクドと同じことを何回も言わないですし、私がまた同じことを繰り返してしまっても、「前もあっただろ、気を付けろ」とひと言。色々な師匠がいらっしゃって、色々な叱り方があったと思うんですが、父親はただひと言だけでした。

 そんなこともあって、私が「ピアノ講談をやりたい」と言ったら、ひと言「ダメだ」。理由は言わないんですが、察するところ、「まだ基本もできてねぇくせに、そんなのできっこねぇだろう」と。でも「本当にやりたいんですけど」と言い続けていたら、最後には「勝手にしろ」という感じで(笑)。

 一から十まで手取り足取り教えるんではなくて、「俺の背中を見て覚えろ。ついていきたいんだったら、勝手についてこい」というタイプでした。そのあたりは私も踏襲していると思います。今、子育て真っ最中なんですが、子ども達に対しても細かく言わず、「母ちゃんの生き様を見て覚えて!」と。