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流麗にして弁舌 一龍斎貞鏡 (中編)

「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第2回

流麗にして弁舌 一龍斎貞鏡 (中編)

幼き頃の貞鏡を肩車する八代目貞山(一龍斎貞鏡・提供)

瀧口 雅仁

執筆者

瀧口 雅仁

執筆者プロフィール

 一時期、絶滅危惧種とまで言われるも、現在、東西合わせて120名を超えるまでになった講釈師。江戸から明治、大正、昭和と、主に男性が読み継いできた芸であったが、平成、令和と時代を経て、女性目線による女性の講談が世に送り出されてきた。その時、講釈師は何を考え、何を読んできたのか。第一線で活躍する女性講釈師に尋ねてみた。(一龍斎貞鏡先生の前編/中編/後編のうちの中編)

貞水先生の教え

――初高座を教えてください。

貞鏡 『山崎軍記』です。神田伯龍先生が持っていらっしゃった演目なんです。難しかったですね、ほぼ漢字で、お経のようで、当時は講談界も講談のこと自体もよくわかっていないから、「頃は天正10年……。天正?」って、そこで止まってしまって、いちいち師匠に尋ねたら、「辞書があるんだから調べろ」と言われて、それもまたひと言です(笑)。

――他のご一門が読まれる『三方ヶ原軍記』もやっていますよね。

貞鏡 前座の頃に「『山崎軍記』もいいけど、今後、お前のためにもなるだろう」と、貞水先生に旅の道中で教えていただきました。師匠亡き後は琴柳先生に稽古をつけていただきました。琴柳先生にはありがたいことに厳しく教えていただいています。

 貞水先生も得意にされていた『鉢の木』は春水先生からつけていただいたんですが、講釈をし過ぎると、引き事だらけになってしまいますし、そのまま読むとお客様がポカーンとしてしまいますし、その塩梅が非常に難しい。

 貞水先生にその頃、「落語は毎日寄席があるから、毎日高座と楽屋の空気を吸って、芸人の風を浴びることができるけど、貞鏡はできない。だから1回の高座に噺家さんの30日分をかけるように、人が30日で学ぶことを貞鏡は1日で学ぶようにしなさい。そうしないと追いていかれるし、素人になるぞ。あとは場数を踏みなさい」と仰っていただいたことを思い出します。貞水先生には、色々なことを教えていただきました。

 講釈師として入門すると、最初に教わることの多いのは、貞鏡も話すように、徳川家康唯一の負け戦を描いた『三方ヶ原軍記』である。一方で貞鏡の初高座『山崎軍記』は、それこそ天正10年(1582年)の本能寺の変を受け、羽柴秀吉軍と、信長を討った明智光秀の戦いを描いた話で、ともに講談特有の軍記物の勇壮な場面などを朗々とした口調である修羅場(しゅらば。ひらばトモ)調子を大切に読み進める話である。

 『鉢の木』は鎌倉幕府五代執権北条時頼が諸国を行脚の際に、佐野源左衛門という忠に尽くす武士と出会う物語で、いずれも講釈師の腕が試される話だ。