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青春の終わりに入門。青春の始まりの入門 (前編)
鈴々舎馬風一門 入門物語
- 落語
ドラマチックな薄野の日々
さても入門すると厳しい修行。……今年の夏と来年の夏。ふた夏くらいは余裕をもって“蔵前橋通りの赤牛”と呼ばれたバイクで疾走してみやう。赤牛はKAWASAKI-Z400FXの車体が重かったことと、異様なまでに遅かったので、呼ばれることゝなりました。
いずれにしてもまずは遊すび。この浅はかなさまは、落語界では肯定されることでもあるのですが、16歳にしてすでに出来上がっておりんした。噺家へと軌道をあらためることに後、数年を要するのでございますが、まずは高校を中退。のちの、実に営業活動には影響する、人脈を手放す代わりに、直感としての閃きの力は温存することができた。と思っております。
受験と就職、……何よりもギャグ力を発揮できる仕事があった。これで世間と拙の溝を埋められるのではないか!? これよりの流浪の中で先に2年は人生を謳歌して良い!ヨシ!!との決定事項がございますれば、東京を離れ大阪視察→池袋の同窓会に出席した後には上野から夜行列車に乗って青函連絡船で北海道へ。北海道最果ての稚内を目指しておりんした。
天塩郡豊富町で牛の乳を搾る、アイヌ葱(行者ニンニク)を食する日々。旭川で一眼レフカメラを購入、札幌に着くや所持金が京都大原となっておりましたとさ(京都大原三千円。ってだけですが)。
寮付きのスナックで雇っていただく筈だったのですが、芸人を志す、ギャグ力都内最強と、自認する拙に与えられた仕事は、ススキノの武闘派香具師のご一家経営による桃色接客店舗でございました。即刻ススキノナンバー3の客引きと成増のですが、1位が青森出身で津軽弁にて難解な客引きをする大将、2位は銀縁メガネの七三分け、真面目なサラリーマン然とした方。今では理解できるプロ意識でござんすが、当時は「ここまではやってらんねぇ。。」くらいに感じておりんした。
毎日ドラマチックな薄野の日々。内地(本州、沖縄、九州、四国)から流れ着いた、人生悲喜交々な皆様と御酒など酌み交わしながら人生を考えるうちに進路を熟考いたしまして。
