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天敵
三遊亭好二郎の「座布団の片隅から」 第2回
- 連載
- 落語
ヤツを巡る楽屋の論争
そもそも落語家という商売は、食生活が不規則になりがちである。
私は人気テレビ番組『笑点』でおなじみ三遊亭好楽の孫弟子であるが、とにかく打ち上げの多い一門だ。酒席に行くと、脂っこい料理がメインになる。栄養バランスが偏る日々……。
そんな私にとって、居酒屋のメニューにたまにある「野菜を食べよう!」コーナーが唯一の心の救いなのだ。脂っこい料理と連日の飲酒への罪悪感、それを打ち消すために野菜を摂取しようとして見たメニューに、マカロニサラダしか載っていなかった時のガッカリ感と言ったら……。
そんなマカロニサラダのことを楽屋で語ると、ほかの噺家から必ず以下の3つの質問が来る(もしくは完全に無視される)。
Q1.サラダの語源は、「塩(ソルト)」であるから、別に野菜が入っていなくてもいいのではないか。
これが一番多い意見だ。確かにサラダの語源を調べると、ラテン語の「sal(塩)」が語源で、サラダはもともと「塩を加えて味付けした野菜料理のこと」を指していたようだ。つまり「野菜」ではなく、「塩」に重きを置いているわけで、そう考えればマカロニサラダがサラダコーナーに置いてあっても不思議ではない。
だが、待ってほしい。そんなことを言い始めたら、調味さえしていればサラダコーナーに何を置いても良いことになるではないか。
そもそも、サラダの語源を知っている人が世の中に何人いるのだ。誰がなんと言おうと、日本においては「サラダ=野菜」のイメージが強いはずだ。サラダコーナーの秩序と栄養的なイメージを守るために、やはり野菜の存在は欠かせないと私は考える。
Q2.ポテトサラダもあまり野菜が入っていないが、それはどう思うのか。
これもよく聞かれるが、ジャガイモは畑から取ってくるわけで、まだ野菜のイメージに近い気がする。
マカロニも元は小麦だが、畑から直接来たポテトと、一度加工が入ったマカロニでは印象がまるで違う。よってポテトサラダは、サラダコーナーに陳列してもまったく問題ない。もはやこれは理論もへったくれもない。超個人的な印象である。
Q3.うまい棒のサラダ味は許すのか。
知らん。
こんな具合で、昔からマカロニサラダのことを楽屋や高座で語っては、草の根運動を続けてきた(サラダだけに)。早くヤツをサラダ扱いするのは諦めて、パスタコーナーに陳列してあげてほしい。その日が来るまで、このレジスタンス活動は続くだろう。