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前座見習に師匠見習

三遊亭司の「二藍の文箱」 第3回

それぞれの22歳

 今年の桜も早かった。開花から冷たい雨が続き、その分、花が長くもった。そんな桜もすっかり葉桜になったころ、彼から再度連絡がきた。

 わたしの誕生日から半年が過ぎていた。今度はわたしが応える番か。そう思うと、日時を決めたものの、気が重い。毎月、落語会をひらいている寺院での再面談。想いは変わらないという。
 「はぁ、変わらないかぁ」

 わたしも想いを言葉にして、紡いだ。
 「よし。じゃあ、預かることにするか」

 決め手は?
 「うん、取ったほうが、おもしろそうだからな」

 そう伝えた。いまのところ、おもしろいことは、あまり、ない。最初に会った時、21歳だった青年は22歳になっていた。先師三木助が亡くなり、わたしが師匠歌司に再入門した歳とおんなじだ。

落語に出会ってしまった人びと

27年後の師匠の想い

 当初、弟子には大人として接していた。「これぐらいならわかるだろう」と。だが、それが間違いだった。彼自身の人間性云々ではない、彼は知らないだけだった。1からどころか0から教えねばと考えをあらためたのは、最近のことだ。

 この世界の考え方や動き方が、27年の落語家生活で当たり前になっていて、22年間堅気だった弟子とは隔たりがある。その隔たりは「甘さ」に見えてしまう。なので、噛んで含めるどころではない、ミキサーを使って離乳食をつくるレベルで伝えなければならない。

 師匠とは実に根気のいるものだ。それでも、カッとアタマに血がのぼることがある。なぜわからない。なぜやらない。そのたびに、田端の師匠や、仕込んでくださった師匠の実姉・茂子姉さんを自分のなかに下ろしては、「六久助──わたしの前座名──がずいぶん偉くなったもんだ」と戒めてもらっている。

 今こうして、27年隔てて師匠の想いが自分に返ってきている。