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前座見習に師匠見習

三遊亭司の「二藍の文箱」 第3回

君の名は

 さて、そんな弟子を本名で呼び続けるのも気が入らない。教えるのは弟子であって、本名の彼ではない。教わる弟子も覚悟が決まらないであろう。

 師匠歌司に芸名の相談をした。司の字をつけたり、歌の字をつけたり。そうこうしているうちに「本名でもいいんじゃないか」と言い出した時点で、あ、飽きたな。と判断。はなしを切り上げようとすると、「まぁ、お前の弟子だからお前が決めろ」と、やはり飽きていた。

 寿に司で「ひさし」に決まりかけたが、師匠の兄弟弟子・小歌師匠が小歌になる前に名乗っていた「歌坊」という名前を思い出した。小歌師匠は侠気あふれる師匠で、わたしは「オジキ」と呼ぶが、なぜか師匠はわたしを「兄弟」と呼ぶ。圓歌一門きってのアウトローで、師匠にまつわるそれらのはなしを深掘りすると原稿がボツになる。

 真打として名乗っていた名前だが、落語家のカタチもつかない若者に芸人の香りのついた名前もいいだろうと、ご自宅にお願いにあがった。80歳を過ぎても尚お元気で、2時間ほど芸談よりも反社界隈の話で盛り上がった。「歌坊」どころか「小歌の名前もお前にやる」と印鑑も預かった。「師匠、わたし小歌は要らないんですが」と断ったのに。

 かくして、22歳の青年は三遊亭歌坊となった。

よし遅くとも

 この商売をしているとインタビューをよく受ける。すべてが同じように答えているかというと、そんなことはない。変わらないのは、落語家を生き方として意識した時のことだけだ。

 そんなインタビューの終わりには、将来の夢や目標を聞かれるのも定番で、それへの答えも、二ツ目のころから変わらない。

 弟子がくる落語家、弟子を取れる落語家。

 それは、「売れたい」という話ではなく、それだけ次世代に伝えるものを持っていたい。そして弟子を取ることが、歌司や三木助、三代目圓歌、五代目小さん、それぞれの師匠たち、しいては落語に対する恩返しであり、義務とすら思っている。

 弟子個人の素質ではなく、前座見習いなど、いつどうなるかわからない。今この時、彼はもういないかもしれない。それは彼にとって、悪いこととは限らない。

 わたしの「圓歌一門更新制度」ではないが、わたしも、毎日、毎月、毎年、落語家でいたいという覚悟と努力が27年続いている。それでいて視線は5年、10年、20年と先を見ている。だから弟子にも、1日1日確実に歩んでほしい。その一歩が、たとえ小さなものだとしても。

 令和7年4月16日、わたしは師匠になった。

(毎月2日頃、公開予定)