「声の黒船」はすでに来襲している ~厄介な未来

月刊「シン・道楽亭コラム」 第4回

「声の黒船」はすでに来襲している ~厄介な未来

いつかロボットが『長短』を演じる日が来る? (画:とつかりょうこ)

シン・道楽亭

執筆者

シン・道楽亭

執筆者プロフィール

声が繋ぐ高座と客席

 いま以上に相当無知だった時代。私に“落語を聞くためのいろは”を叩きこんでくださったニッポン放送のHプロデューサーに、「今日は、どこに行くんだい?」と聞かれたことがある。

 「鈴本演芸場です。落語を見に行きます」と答えた。間髪を入れず、「聞く、だよ、聞く。落語は、見るもんじゃない。聞くんだよ。だから落語を聞きに行く、と言わないとダメだね」と釘を刺された。

 以来、“落語は聞くもの”という認識を貫いている。原稿を書く際も、「落語を見る」と書くことはない。「落語を聞く」「落語を聞いた」と書く(実際は耳で聞くだけでなく、五感を総動員して聞くこともありますが。ちょっと大げさ!)。

 高座と客席、演者と私をつなぐものは声である。演者の声を演者固有の声として認識し、固有の筋を頭に描く。

 当たり前か。当たり前が当たり前として受け止められているうちは、世間はギクシャクしない。ルールもいらない。だが、当たり前が永遠に当たり前であり続けるかどうかの保証はない。

 演者の声が、演者の預かり知らぬところで一人歩きでもしたら、それこそ厄介ごとになる。業界の掟やルールを屁とも思わない「よそ者」の一味は、いつも何をしでかすか分からない。

 「あれ、これ俺の声だよ」「でも俺、『牡丹灯籠』持ってないよ」。例えば三遊亭白鳥師匠が、そんなことをぽつりと漏らす時代が来たとしたら。

 「声の黒船」はすぐそこに来ている。そんな噺を、これから申し上げます。