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高館義経堂の仁王

林家きく麿の「くだらな観音菩薩」 第4回

不器用でも響く心

 毎日毎日、ぶらぶらしていて、皆から馬鹿にされていた抜作。

 だが急に、
 「おい、あいつどうしたんだ。毎日木にしがみついて、頭がおかしくなったか?」
 「昔から変わってんだ、ほっとけほっとけ」
 「どうしたんだ? 今度は、大きな木を削り出したぞ、おい、お前何やってんだ?」

 「おら、義経公を守る仁王様を彫るだ」
 「仁王様? なしてだ」
 「夢見ただ、木さ削って仁王様作れって、九郎判官様が夢に出てきただ」
 「九郎判官様が?」

 それから抜作は、毎日毎日こつこつ、こつこつと彫り続けた。身体も不細工で、顔もヘンテコ、皆は抜作の仁王を「ヘンテコ仁王」と笑った。しかし抜作はそんなことを全く気にせずに、こつこつと彫り続け、6年かかって2体の像を彫り上げた。

 目が飛び出て、スタイルも悪くて、とても上手とは言えない、この仁王像。村の皆んなは、恥ずかしくて置けないと、庄屋の蔵にしまってしまった。抜作は悲しかったが、自分なりに満足のいく像ができて喜んだ。

 ある日のこと、庄屋の家に盗賊が押し入った。盗賊たちは皆を縛り上げ、悠々と蔵の中に入ると、何と2メートルを超す大男が2人、武器を持って立っている、盗賊たちは恐れおののき、叫び声を上げて這々の体(ほうほうのてい)で逃げて行きました。

 それからこの仁王様は、村の守り神として、義経堂を守る仏様として大事に大事にされましたとさ。

 ……みたいな話があると面白いなあ。

 不器用な人がこつこつやり続けた物って、素敵なんですよね。私はどちらかと言うと器用な方なので、ササッとできることがあるけど、不器用な人が諦めずにやり続けた物に「敵(かな)わないなぁ」と思うことがよくあります。

 そこなのかなぁ、心がびりびりするのは。たくさん仏様を見てきたけど、心が震えるってのは、彫り師の方の気持ちがこもってるんでしょうね。歌でも、絵でも、落語でも、下手だけどなんか良い!ってありますよね。

 歌だと分かりやすいのかなぁ。上手くないのに、「何故だろう、涙が出てくる」「心に響いた」なんてよく聞きます。心が心を動かす。心を動かせるのは、貴方の心なんです。

 この“当たり前”っぽいけど、難しいことを私たちは芸人としてやっていかないといけないんだろうなぁ。でもなぁ、歌と違って、落語が下手くそだと、聞いててどうしようもない気がするんだけどね。

 よし、お稽古しよう。じゃ、またねー。

(毎月16日頃、掲載予定)